紹介記事目録 | |
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教師と校長の自殺特集はこちら | N354子どもの自殺はこちら |
記事紹介の留意事項 |
京都 |
2003/02/06 |
刊 | 面 | No .N127k030206xxx |
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滋賀県 |
滋賀県警 |
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シリーズ・特集; http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2003feb/06/W20030206MWB1S000000163.html | ||||||||||
見出し: 滋賀の自殺者324人に/県警調べ 中高齢の男性が急増 |
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メモ : 滋賀県内で2002年1年間に自殺した人が前年より3割多い324人にのぼったことが、県警の調べで2003年2月6日までに分かった。中高齢の男性の自殺が急増しており、病苦や前途悲観による自殺が目立った。 県警のまとめによると、昨年取り扱った遺体1089人のうち、自殺者が3割を占めた。自殺者の増加を受け、県警の遺体取り扱い総数も初めて1000人を超えた。 自殺者のうち、男性は236人で、前年より62人も増加。女性は88人で11人増だった。50歳代の自殺が85人と最も多く、次いで、70歳代59人、60歳代58人の順。 動機別では、病苦による自殺が68人、前途悲観が53人、借金苦が50人、精神障害が38人となっている。 |
朝日 |
2003/02/02 |
朝刊 | 26面 | No .N127a030202m26 |
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徳島県/川島町 |
女 |
33 |
三笠貴子/犯罪被害者きょうだいの会 |
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シリーズ・特集; にっぽん考 NIPPON-KOU (貝塚昭彦) | ||||||||||
見出し:
泣いていい兄よ妹よ |
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メモ
: 「犯罪被害者きょうだいの会」には、事件や交通犯罪などで兄弟姉妹を亡くした人たちが集う。兄弟にしか分からない気持ちがある。誰にも言えない悲しみや苦しみがある。そんな思いを分かち合い、支え合う場だ。 ■代表を務める三笠貴子さん(33)は、徳島県川島町で両親と暮らす。今の仏壇に遺影がある。穏やかな、そしてはにかんだような笑顔の兄睦彦さんだ。 睦彦さんは1999年12月、徳島県阿南市の川で変死体で見つかった。当時33歳だった。 警察は「自殺」としたが、状況の不自然さに納得できなかった。「真実が知りたい」一心で専門家らにあたって調べると、捜査にいくつも疑問点が浮かんだ。「事件」としか考えられず、ストレスから胃潰瘍になり吐血を繰り返した。 その陰で、もう一つの苦しさがあった。つらい思い、泣きたい気持ちを誰にも吐き出せなかったことだ。 兄が死んでから、周りからは「あなたがしっかりしないと」と言われてきた。悲嘆にくれる両親に泣いている姿を見せて、心配させてはいけないと思った。夜中に布団をかぶり、声を殺して泣いた。 幼い頃のけんかの思い出までが自分を苦しめた。「お兄ちゃんなんていないほうがいい」。なんであんなことを言ったのか。自分が生きていることも罪のように思えた。 ■2001年夏、参加した犯罪被害者の集会がきっかけで、香川県白鳥町に住む竹治綾さん(29)と会った。竹治さんは1999年4月、6人の少年による集団暴行で弟の大亮さん(当時16)を奪われていた。 竹治さんは初対面の三笠さんに、思いを書きつづった長い文章を見せた。 ―車を運転しながらふと、「このままハンドルを切って死んだら弟に会える」と思ってしまう。加害者からの電話を弟に取り次いだ自分を責め続けている。悲しんでいる親の前では、自分のつらさは話せない― 「分かる。わたしも一緒」。その言葉で、せきを切ったように2人は泣いた。 三笠さんは、同じような境遇のきょうだいたちを捜した。弟の温史さん(当時16)を車にはねとばされて失った徳島市の野口有香さん(25)、弟の悟さん(当時27)を少年にひき殺された神戸市の坂口まゆみさん(32)……。輪は徐々に広がった。 まだ出合えていない人たちのためにも、思いを分かち合える場を作りたい。その年(2001年)の10月に「きょうだいの会」をつくったのは、そんな思いからだった。 ■2002年11月、三笠さんは知人に誘われ、神戸であった阪神大震災関連のフォーラムに参加した。客席からきょうだいを亡くした遺族としての思いを語った。 会が終ると、震災で妹を亡くしたという女性がやってきた。「私が言いたかったことを言ってくれた。言いたいけど言えなかった思いを」 人の手で命を奪われた犯罪と震災とでは、状況も周りの対処の仕方も違う。でも、震災の被災者の間でも、きょうだいの気持ちをくみ取ってくれればと願う。 2003年1月8日夜。三笠さん、竹治さん、野口さんの3人は、香川県で設立準備中の「被害者支援センターかがわ(仮称)」の相談員らが開いた勉強会に招かれ、話をした。 「被害者のきょうだいが自分のことを相談している時に『ご両親は大変ですね』と言われたら、その子は二度と電話をかけてこない」「1回の相談だけで簡単に答えを出そうとしないで」 三笠さんは言う。「1人の命がなくなることで、親や配偶者、子どもだけでなくきょうだいも苦しむこれだけの人が傷つくという事を、世の中の人は、そして誰よりも加害者はきちんと知るべきだと思う」 ■私にも兄がいる。でも、この取材を始めるまで、きょうだいたちの葛藤に思いが至らなかった。家族の中でもそれぞれに違う悩みや苦しみがある。「きょうだいの会」の活動は、見過ごされてきた大切なことを、改めて認識させてくれた。社会がそれにどうこたえていくのか、問われている。 ■「犯罪被害者きょうだいの会」には、▽少年犯罪▽交通死亡事件▽未解決事件▽海外での犯罪―の5分科会がある。同会によると、米国や英国にもきょうだいのための組織があるという、同会のホームページは(http://.www.nmt.ne.jp/~micino/b&s/) 管理人:「犯罪被害者 きょうだいの会」のサイト紹介はこちらから |
朝日 |
2002/12/21 |
夕刊 | 11面 | No .N127a021221e11 |
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JR西日本 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 鉄道自殺 3日に1件/京阪神のJR 乗客の苦情殺到 |
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メモ : 京阪神で鉄道自殺が急増している。JR西日本の大阪、神戸、京都3支社の管内では11〜12月にかけ、3日に1件異常発生する異常なペースだ。 東海道線で消防署員が死傷した2002年11月6日の事故を受け、鉄道各社は列車の運行再開に慎重な姿勢をとっているため、事故のたびにダイヤが大きく乱れている。 乗客の苦情も多く、JR西日本は自殺防止策の検討に乗り出した。 2002年12月20日夜、兵庫県尼崎市と京都府大山崎町のJR東海道線で2件の人身事故が起き、男性2人が即死した。いずれも自殺らしい。この日の夜は桜島線での酔客の転落事故も絡み、帰宅い客ら21万5000人に影響した。 2002年12月14日にも京都、兵庫両府県で自殺と見られる事故が4件相次ぎ、影響は10万人に及んだ。 JR西日本によると大阪、神戸、京都3支社の京阪神地区で自殺と確認された事故は、4月から10月までに42件あった。この期間は、年間72件だった2001年度とほぼ同ペースだった。 ところが11月は10件、12月」も20日までに自殺・自殺未遂と見られる人身事故が15件起き、私鉄各社でも事故が相次いでいる。 JR西日本の京阪神地区での自殺は1997年度の104件をピークにここ数年は減少傾向だった。同社幹部は「11月の二重事故以来、人身事故が起きるたびに大きく報道される。『電車に飛び込めば死ねる』と、自殺を考える人を引き寄せているのかも知らない」と話す。 同社は消防、警察の活動が終わるまで列車の運行を完全に止める措置をとっており、乗客からの苦情が殺到している。 同社は、駅の照明を明るくするといったJR東日本の取り組みを参考に、自殺防止対策の研究を始めた。だが幹部は「最近は駅以外から線路に入る人も多い。こちらは防ぎようがない」と頭を抱える。 |
朝日 | 2002/09/13 |
http://mytown.asahi.com/akita/news02.asp?c=5&kiji=6 | No .N127a020913xxx |
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秋田県 |
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シリーズ・特集; MYTOWN 秋田 自殺の周辺 | ||||||||||
見出し: 検証:上 「助けて」届かぬ叫び/ 列車に向かい、一歩、二歩 寸前、妻が手をつかんだ/ 人と競うことをやめ、故郷へ 「生きてて良かった」実感/ 自殺者数、交通事故死の3.7倍 目立つ働き盛りの死 |
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メモ : 自殺が交通事故より身近になってしまった。止める手だてはないのだろうか。(秋田支局・高橋康弘) ○列車に向かい、一歩、二歩 寸前、妻が手をつかんだ ホームに滑り込む列車の先頭が見えた。抱えていたバッグを手から放し、鉄の塊に向かった。一歩、二歩。自分では全力で走り出したつもりだった。 次の瞬間、強い力で引き留められた。追いかけて来た妻が左手をつかんでいた。ほおを、平手でたたかれた。 ホームに座り込む夫婦の前を、数本の列車が通り過ぎた。不思議そうに見つめる乗降客の姿に先に気がついたのは妻だった。妻に手を引かれベンチに向かい、座った。長い時間だったと思うが、妻が「なんで」と言った後は、会話が続かなかった。のどが無性にかわいていたのを覚えている。 10年前の夏。日曜日の午後だった。当時、32歳。東京都内にある妻の実家を訪ねた帰りのことだ。 秋田県で生まれ、小学校長も務めた父の影響を受け、東京都内の大学に進学。神奈川県内で非常勤で教職に就いた。3年後、大手繊維製品メーカーに新規部門の立ち上げスタッフとして転職。首都圏各地を回り、営業開発を続けた。 一つの目標を達成すると次のハードルが待っていた。それは期待されているという思いにつながり、こたえようと気張った。週休2日の会社だったが、月に1、2日休んだだけだった。 体に異変を感じたのは入社半年後。朝、決めた時間に起きられない。始業時刻の一時間前に会社の玄関に着いたが、自動ドアが何度開いても中に入れない。 毎日、8時45分が「朝の壁」になった。休むことを決めるとすっとした気分になった。 間もなく、胃かいようで入院。病床では、職場でだれが自分の仕事の代役をしているかが気にかかった。退院して、再び仕事に打ち込もうと思った時、ピンチヒッターだと思っていた同僚が、今後も自分の仕事を担当する、と告げられた。 会社に居場所がなかったと感じて、大手化学会社に職場を替えた。31歳。結婚もした。 仕事は忙しかった。休日の半分は出勤。午前2時まで仕事をし、タクシーで帰宅する日も少なくなかった。いつも100%でなくてはいけないと、常に思っていた。1年半後、体に異変を感じ、再び入院。妻のすすめで精神科でカウンセリングも受け始めた。 退院後、仕事のペースを落とした。定刻通りの勤務。そんな日々が、過ぎた。「生きていても価値がないと思っていた」 電車に向かったのは、そんな時だった。 ○人と競うことをやめ、故郷へ 「生きてて良かった」実感 自殺未遂から10年。この男性は、故郷の秋田県に住む。戻って五年になる。 メールを書いていたパソコン画面から目を上げ、ふと窓の外を眺める。稲穂が頭を垂らす。午後5時になると、家路につく人たちが見える。その姿に、違和感を感じなくなった。 19年前に上京した時、荷物は軽トラック1台分。家財道具は4トントラックが必要なほど増えたが、上京した時と同じ、1人。70代の両親はほっとした表情をみせたが、親類の目には厳しさを感じた。 平手打ちで自殺を止めてくれた妻との関係は、その時を境に、急速に難しくなっていた。妻を残して死のうとした事実が、どう理由をつけても説明できなかった。両親が年をとったことも理由に、故郷での新しい生活を提案したが、受け入れられなかった。3カ月かかった離婚の調停が、東京での最後の仕事になった。 19年間、意識して使わなかったなまりが、知らぬ間にでるようになったのは最近だ。数年前から、自宅で小中学生に勉強を教え始めた。塾というほどではなく、自分の部屋や応接間の空きスペースが教室になる。 教員になるという夢が別の形でかなった。生徒は20人前後になる。月謝ではなく、数千円を謝礼として受け取る。年収800万だったサラリーマン時代には遠く及ばないが、不満はない。 時折、怒られた上司の顔を思い出して目を覚ます。電車に飛び込もうとする自分の姿も浮かぶ。 「生きていて良かった」とこの男性は言う。 「妻の平手打ちは痛かった。大きな音がした。あの痛さで、自分でもわからない力で向かっていた死から、引き戻された。感謝しています」 サラリーマン時代との最大の違いは、人と競うことをやめたことだという。 ●自殺者数、交通事故死の3.7倍 目立つ働き盛りの死 2001年1年間で、全国では交通事故死の約3.7倍にあたる3万3047人が自殺している。7割を男性が占め、4、50代が全体の四割にも達する。なぜ、死を選んだかは、9207人が残した遺書や、残された家族が混乱の中で思いめぐらす「理由」を元に推測するしかない。 遺書が残された中で、最も多かった理由とされるのが健康問題(41.2%)で、経済・生活の問題(30.2%)が続く。 最近、クローズアップされているのが働き盛りの世代の自殺だ。 全国平均の1.6倍、自殺率が5年連続全国一高いのが秋田県だ。 秋田市内の生保会社の支部長は昨年、会社経営の男性から「自分がいま死んでも保険金がでるか」という問い合わせを受けた。支部長は自殺を思いとどまるように説得したが、この経営者は数日後に自殺してしまった。 別の生保会社の社員も中小企業の経営者から、「債権者から借金の返済を迫られている。絶対に保険を解約しないでほしい」と連絡を受けた。この社長は、自分が死んだ後に保険金が支払われるかどうかを、詳細に説明を求めた。そして、数日後に自死を選んでしまった。 生保会社45社が加盟する生命保険文化センターによると、死亡保険金の死因別支払件数の中で自殺が占める割合が、1998年に5.7%と過去最高を記録している。 自殺で親を失った「自死」遺児も増えている。副田義也・金城学院大教授(社会学)の推計によれば、その数は全国で12万人に上るという。 残された家族の傷も深い。3年前に大工だった父を自殺で失った秋田県内の高校3年生には、「父は家族を捨てた」という思いが強く残っている。3年間、「落ち込むより、生活で精いっぱいだった」と話す母親は「死ぬのは一瞬だが、残された人は一生」と続ける。 東京都精神医学総合研究所副参事研究員で精神科医の高橋祥友さんは「2年連続で自殺者が3万人台というのは異常な事態。自殺未遂者は既遂者の10倍。関係者は自殺未遂・既遂者の5倍はいる。病苦や経済的な理由などがあげられているが、自殺した人の9割が、何らかの心の問題を抱えていることを見逃してはいけない。きちんとした治療・対策をとっていれば、かなりの人が死ななくてもよかった」と指摘する。 中学生の時から何度も自殺未遂を繰り返してきたという30代の女性は、こう話している。 「死ぬのは怖い。助けて、と叫んでいる。ただ、それが他人に届かないことが多い」 |
朝日 | 2002/09/14 | http://mytown.asahi.com/akita/news02.asp?c=5&kiji=9 | No .N127a020914xxx | |||||||
秋田県 | ||||||||||
シリーズ・特集;MYTOWN 秋田 自殺の周辺 | ||||||||||
見出し: 検証:下 こころのケア、命救う/ 精神科医の育成を促進 病院に自殺科 ハンガリー/ 「移動班」が24時間待機 SOSサービス フィンランド/ 傷つきやすい民族、生活に自殺の歴史 映画監督のコーシャさん |
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メモ : 自殺は日本だけの問題ではない。高い自殺率の対策に取り組むハンガリーとフィンランドの現状を見た。(秋田支局・高橋康弘) ○精神科医の育成を促進 病院に自殺科 ハンガリー インタビューの席についた女医は、ひんぱんに病棟に呼び戻された。白衣には抱きしめた患者の、涙や鼻水の跡が新しいシミになっている。ハンガリーの首都・ブダペスト市内にあるエルジェーベト病院。ここには、自殺未遂者を専門に治療する「自殺科」がある。 精神科医のチセール・ノラさんをはじめ、自殺科には十一人の医師と五人の心理学者がいる。 すべての診療科目がある総合病院の中で、自殺科の病棟は二つ。薬物自殺などに対応して内科医が胃洗浄などを行う50床と、精神科を中心にした自殺科の40床が連携している。1980年代には年間10000人前後が入・通院していたというが、昨年は約7000人。入院は平均で二週間ほどだが、その後三カ月間は定期的にチェックする。 エルジェーベト病院は成人を専門にしているが、市内にあるヘイムパール子供病院には十六歳までを対象とした「青少年自殺科」が置かれていた。年間百二十人が入院するという青少年自殺科では、自殺未遂の子供の治療と共に、親や家族のケア・指導にも力を入れている。 大人が自殺を試みる場合、周囲に何らかの「シグナル」をだしているケースが多い。時には、自殺をほのめかす。しかし、子供の場合は大人ほどストレートではなく、「体調が悪い」「頭が痛い」といった訴えや、表情の微妙な変化の場合が少なくない、という ハンガリーの自殺率は、世界でも最も高い部類に入る。特に自殺者を年代別にグラフにすると、五十代で大きな山を描き、六十五歳を境にさらに上昇、専門家は「ハンガリアン・パターン」と呼んでいる。 1995年の統計でみると、人口10万人あたりの自殺率は32.9人(同年の日本は17.2人)だが、65歳から74歳では53.2人(同二24.3人)、75歳以上になると96.0人(同41.1人)と急増する。 なぜ、お年寄りの自殺が多いのか。 チセールさんは「ハンガリーは改革が進み、若者は自由と選択肢を得ることができるようになった。しかし、高齢者は自由を得ても活用のすべが少なかった。特に年金の少ない人たちにとっては、ストレスがたまっているのではないか」と分析する。 高い自殺率が続くハンガリーでは、ここ10年で精神科医の育成を進め、約500人から、830人に増やした。精神科医が待機する診療所も九カ所から136カ所に増え、5つだった電話相談の「SOSライン」も28が機能している。 自殺問題の研究・治療を続けているペーチ大学医学部のシャンドール・フェケテ教授は「ハンガリー人は、老いを自然体で受け止める土壌があるにもかかわらず、高齢者の自殺が多い。個人が自立していないからではないか。その点で、日本とハンガリーは似ているのかもしれない」と話している。 ○「移動班」が24時間待機 SOSサービス フィンランド フィンランドの首都・ヘルシンキに事務所を置く精神保健協会の「SOSサービス」には悩みを抱えた人の電話相談だけでなく、「移動班」と呼ばれるメンバーが2人1組、3交代制で24時間待機している。携帯電話を二つ持ち、相談者、病院や警察・救急などと、常に連絡が取れるようにしている。 スタッフは、医師やカウンセラーの専門家が5人と、約50人のボランティア。年間約6000件の相談が寄せられる。冬が長く厳しいフィンランド。秋を迎えて日が短くなる時期と、春になって日が長くなる時期に相談が集中するという。 「移動班」は、電話相談で自殺の「危険」を少しでも察知すると出動する。公園、酒場、自宅と、相手がどこにいても出向き、自殺防止に積極介入する。 夫を突然の事故で亡くした女性(30)の場合、移動班は携帯電話で女性と話しながら自宅に向かった。「後追い死」を口走る女性に、移動班は到着するまでは絶対に自殺しないという約束を取り付けた。 夫を亡くしたショックと共に、幼い子供を抱えたこの女性には、生活への不安が一気に押し寄せていた。 30年の経験をもつ「SOSサービス」は国が進める自殺防止プロジェクトの一環として、八六年から「自殺者の家族の会」も立ち上げた。自殺で家族を亡くした人が集まり、体験を語り合う場だ。 嘆き、怒り、しゅう恥心、焦燥感……。思いのたけを話して発散することが、残された家族自身にも迫る「自殺」の防止につながっているという。 フィンランドが、国ぐるみの防止策に取り組み始めたのが八六年。当時、人口10万人あたりの自殺者は26.6人。1994年には27.3人と増えたが、1997年には25.7人とやや減っている。 プロジェクトの中心になった国立社会福祉保健開発研究センターのマウノ・コンティネン副総裁は「自殺問題は解決していない。小、中学生の段階から意識改革し、結果がでるのは2、30年後。そういう取り組みだと思っている」と話している。 ◇傷つきやすい民族、生活に自殺の歴史 映画監督のコーシャさん ハンガリーでは、日本の小説「楢山節考」(深沢七郎著)の翻訳本が、ベストセラーになった。 ハンガリーの映画監督で国会議員のコーシャ・フェレンツさん(62)は、ハンガリー人が感銘を受けた理由を「今はルーマニア領土になっているトランシルバニア地方(旧ハンガリー領)に、同じような風習があったからだ」と分析する。 この地方では20世紀の初頭まで、仕事ができなくなった老人たちが洞くつの中で一人で死んでいった。役目が果たせなくなったと感じた時、自分がいなくなっても平気だ、安心だと思った時に洞くつに入ったという。昔から、生活の中に自殺の歴史があったのかもしれないというのだ。 ハンガリー人は生活水準は低いとはいえないものの、自殺率は高い。その背景をコーシャさんは「傷つきやすい民族なのかもしれません。革命や動乱も、ことごとく最後は踏みにじられた。常に周囲からプレッシャーをかけられてきた歴史がある」と説明する。 日本で自殺が急増していることも知っていた。そして、「心の問題が追いついていないのではないでしょうか」と指摘した。 コーシャ・フェレンツ1967年、「一万の太陽」でカンヌ映画祭監督賞。生涯に3度の自殺をした詩人の幼年期を描いた作品「自殺」で、1968年にツール映画祭国際批評家連盟賞。夫人は元舞台女優の糸見偲(しのぶ)さん。 |
朝日 |
2002/11/03 |
朝刊 | 21面 | No .N127a021103m21 |
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斉藤勇輝、井上英喜、山口和浩、高木美和 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 自殺遺児 胸張り生きる/学生ら13人、実名手記編集/同じ悩み持つ人へ「一人じゃないよ」 |
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メモ : 自殺で親を亡くした学生らが、手記集「自殺って言えなかった。」を出版した。8人が実名で手記を寄せ、表紙には4人が正面を向いて並んだ写真を使った。 「自殺する人を一人でも減らしたい」「遺児に一人じゃないんだよと伝えたい」。 そんな思いを訴え続けてきた彼らが実名や顔を公表するまでには、葛藤もあった。自殺への偏見を自ら取り払い、「堂々と生きたい」という彼ら自信の決意も込められている。 病気や災害で親を亡くした子を支援する「あしなが育英会」の奨学金を受けている学生や専門学校生ら13人の手記と、小学生から高校生までの5人の遺児、夫を亡くした6人の妻の手記、聞き書きなどを収録している。 活動を始めたのは1999年秋。編集委員会代表を務める大学4年、斉藤勇輝さん(21)=埼玉県=ら2人が街頭で、体験を訴えた。斉藤さんは中学2年のとき、父(当時47歳)を自殺で亡くした。 匿名で顔を隠した姿がテレビで放映された。 2000年2月、同じ体験を持つ遺児が互いの思いを語り合い、2000年4月、文集『自殺っていえない』にまとめた。新聞などで紹介され12万部を郵送。反響の手紙やメール、電話は1000件を超えた。同じ体験を寄せた人も多かった。 長崎県に住む大学4年、山口和浩さん(21)は、中学2年の夏、父(当時38歳)を自殺で亡くしてからの思いを書いた。 文集では名前は出さず、イニシャルを交換しあって記した。「読む人が読んだらわかる内容だった。知られると、『自殺した親の子ども』として見られるのではないか、と不安だった」と振り返る。 大学2年のとき、同育英会の合宿「つどい」に、リーダー役で参加、年下の遺児に出会った。つどいに来られない年下の遺児を思った。 「実名を隠して活動することは、ぼくらが表に出てはいけない立場だっていう暗黙のメッセージを伝えているんじゃないか。これ以上、不安がらせたくない。』そんな思いが強くなった。 2001年12月、小泉首相に自殺防止の提言を手渡すことになった。その際、10人が顔をカメラに向け、7人が実名を公表した。 悩んでいた斉藤さんも、公表を決意した。ずっとびくびくしていたという。「私の父はそんなに悪いことをしたのか。違う、そうじゃない。堂々と胸を張って生きたい」。その姿がほかの遺児の力になれば、との思いだった。 今ではもう「怖い」とは思わない。「自分自身の偏見が、自分を怖がらせていたんだと思います」 2002年10月31日、出版発表の会見があった。顔や名前を伏せたい人も並んだ。 「苦しむ人が減ってほしい」(男・20歳)、「自殺というだけで弱い人と見ないでほしい」(女・20歳)、「なにかしなきゃ。そう思ってみんなと本を作った」(男19歳)訴えたい気持ちはみんな同じだった。 斉藤さんは「少しでも声を出せることが、大きな一歩になると思う。本をきっかけに、一人でも多くの人に自殺の問題を考えてもらいたい」 手記集「自殺って言えなかった」はサンマーク出版(03-5272-3166)刊。272ページ、本体1300円 メモ 1998年以来、全国の自殺者数は4年連続で3万人を超えている。警察庁によると、2001年1年間の自殺者は3万1042人。男性が7割強の2万2144人。年代別では、30台から50代が半数を占める。 福田義也・金城学院大学教授の推計によると、2000年に自殺で親を亡くした遺児(20歳未満)は約9800人。一日平均27人。また2000年時点での遺児数(20歳未満)は約9万人。 泣きたいときには、泣けばいいんよ 自分を責める気持ちに変化 井上さんの体験から 松山市在住の大学2年、井上英喜さん(19)も自分の体験と思いをつづった。 父親(当時50歳)が自殺したのは、中学に入学した年の4月。3期目となる町議選に出馬し、当選した翌日だった。選挙を巡り嫌がらせがあったと聞いた。自殺は、新聞にも載った ぼくの中にひとつの大きな不安が生まれました。自殺に対する劣等感からだと思いますが、学校でいじめにあったらどうしようと、すごく不安になったのです。 ほかの町の高校に進んで父の死を語れなくなった。名簿の保護者欄には母の名が記された。 恐怖心で毎日びくびくしながら生活していたような気がします。 2年のとき、勇気を出して仲間に話すと、受け止めてくれた。でも、「なぜ自分だけが、こんなにつらいのか」という思いは消えなかった。それは自分を責める気持ちに変わった。 自殺の1、2週間前、父が金庫の開け方を教えてくれていた。鍵と暗証番号を書いた紙も渡された。父が自殺したのはトラックの中。その日、その横に止めていた自転車で学校へ行った。異変に気付かなかった。 お父さんが自殺したから幸せになれないのではない。ぼくが見殺しにしてしまったんだから幸せになってはいけないんだ。 自殺も考えながら、大学生になった。育英会の「つどい」に参加、涙が止まらなかった。 「もう無理せんでいいんよ。泣きたいときには、泣けばいいんよ」。この一言にぼくは助けられました。 父の思い出さえ封じ込めていた。自殺を受け入れられずにいた自分に気づく。 最近になって、やっとお父さんが自殺するときにどんな思いだったのか、と考えるようになりました。家族を、子どもを残していくのだから、とても、心残りだったと思います。 自分を責める気持ちにも変化が起きた。 ぼくは社会に訴えたい。自殺は、けっして個人の問題ではないということを。社会が苦しんでいる人を受け入れてくれたなら、自殺者は今より減っていくのではないでしょうか。 管理人:「あしなが育英会」のサイト紹介はこちらからどうぞ 手記集「自殺って言えなかった。」の図書紹介はこちらからどうぞ |
朝日 |
2002/09/18 |
夕刊 | 27面 | No .N127a020918m27 |
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吹田市 |
女 |
41 |
佐藤まどか |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 背負ってきたもの 少しでも軽く/ともに語ろう、親の自殺/大阪で22日 |
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メモ : 親を自殺で亡くした女性が、同じ体験をした人に呼びかけ、「親の自殺を語る会」を2002年9月22日、大阪府吹田市で開く。「背負ってきたものを、少しでもおろすことができれば」との願いからだ。体験を話したい人は話し、話したくない人は聞くだけでもいい。そんな会を続けていくという。 吹田市の佐藤まどかさん(41)は、鹿児島に住んでいた中学3年のとき、父を自殺で亡くした。 おぼろげな記憶では、亡くなる前日、父の経営する工務店が不渡りを出した。ステレオやテレビを隣の家に隠してもらった。佐藤さんは翌日に修学旅行を控え、「行けなくなるの?」と心配した。父は「大丈夫、行ったらいいから」と笑って答えた。翌朝、集合場所の駅へ車で送ってくれた。それが最後になった。 車を降りた直後、同乗していた友人が、「まどかのパパ、元気なかったね」と言った。「え、そう?」。気にも留めなかった。車はそこに、しばらく止まっていた。「あのとき振り返ればよかった。最後の姿を焼き付けておけばよかった」 旅先から呼び戻され、父は病死したと言われた。葬式に来た友人たちが本当のことを知っていたと聞かされ、屈辱を覚えた。整理に追われる母らと離れ、大阪の親類に預けられた。 かっこよく、自慢の父だった。「子どもだったから何も気づけなかった。大人だったら、みんなで働こうと言って助けられたかもしれないのに」と自分を責め続けた。 父の自殺を人前で語るようになったのは、5、6年前からだ。「子どもだったんだから仕方ない」と思うようになった。いま、子育てや離婚の相談を受けるカウンセリングスペース「リヴ」を仲間と共に開く。講座などで父の話をすると、「私も同じ経験をした」と何度か話しかけられた。 自殺者は4年連続で3万人を超え、7割は男性だ。年代別では40代以上が75%を占める。2年前、親を自殺で亡くした遺児たちが、あしなが育英会から文集を出した。佐藤さんも文集を読み「ここに自分がいる」と共感。会を開くきっかけとなった。5月に続き、今回が2度目。「思いを語れる場として、細々とでも続けていきたい」と話す。 2002年9月22日午前10時から正午まで、吹田市出口町の市立女性センターで。 参加費1000円。予約は不要。問い合わせは「リヴ」(06-6821-7293)へ。 |
朝日 |
2002/07/25 |
朝刊 | 29面 | No .N127a020725m29 |
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警察庁 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 自殺3万人超す 昨年、全国で |
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メモ : 2001年1年間の全国の自殺者は3万1042人で、2000年より915人減ったものの、4年連続で3万人を超えたことが2002年7月24日、警察庁のまとめでわかった。 遺書を残した9115人の動機や原因を分析したところ、「健康問題」に次いで多かったのは、事業不振や失業などの「経済・生活問題」。 このうち85%は40歳以上で、不況に苦悩する中高年の姿が浮かび上がった。 警察庁によると、2001年の自殺者は2000年より2.9%減ったが、2000年の交通事故者(8747人)の3.5倍に上った。 男女別では、男性が71.3%を占めた。 年代別では、60歳以上が1万0891人で最多。50代が7883人、40代が4643人。 19歳以下は586人で最小だった。前年代で前年より減った。 職業別では、無職者が最多の1万4443人で、全体の46.5%を占めた。 次いで、会社員や公務員ら被雇用者、自営業者、主婦(夫)、学生・生徒、管理職と続く。 遺書から動機・原因を分析したところ、「健康問題」が3658人で、統計のある1978年から連続トップだった。 2番目に多かったのは2872人の「経済・生活問題」。1998年以降、多さが目立っており、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」。 40歳以上が全体の85%を占め、とくに50代は1198人と4割を占めた。 一方で、経済・生活を苦に自殺した20代の若者が139人いて、前年より15人増えている。 管理人:警察庁のもとの資料についてはL127からどうぞ |
読売 |
2002/03/27 |
夕刊 | 14 |
面 | No .N127y020327e14 |
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兵庫県/稲美町 |
町職員 |
男 |
25 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 町職員いじめ自殺/稲美町が和解金/地裁姫路支部 |
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メモ : 兵庫県稲美町の男性職員(当時25才)が自殺したのは、上司からの執拗ないじめが原因として、兵庫県加古川市内に住む職員の父親(62)が、町を相手取り、慰謝料など約6600万円の損害賠償を求めていた訴訟の和解協議が2002年3月27日、神戸地裁姫路支部であり、町が和解金200万円を支払うことで和解が成立した。 町は「職場管理や職場環境に配慮すべき点が不十分だった」として、和解勧告に応じた。 訴状によると、職員は1996年4月に採用され、農林経済部産業課に所属。上司だった当時の係長(46)から「どんなしつけをされたんや」「辞めてしまえ」と、再三罵倒されるなど、執拗ないじめを受けた。ストレスから入院し、職場復帰後の1998年1月、「追いつめられて殺された」との遺書を残し、自宅で首つり自殺した。 |
読売 |
2002/03/26 |
朝刊 | 12 | 面 | No .N127y020326m12 | |||||
東京都 |
自殺防止対策有識者会議・日本いのちの電話連盟 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 中高年の自殺を追う/分析/リストラへの悩み深く/家族関係が重要 |
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メモ : 「自殺者3万人時代」は異常な事態ではないか。厚生労働省によると、バブル崩壊後の1990年代、自殺者は増え続け、1998年からは3年連続で3万人を超えた。交通事故の死者の3倍以上に当たる。 1995年と2000年を比較すると、全世代で増えているが、特に中高年の急増ぶりが目立つ。女性よりは男性の増加が著しく、50代前半と後半では3000人を突破し、人口10万人当たりの自殺率も急上昇した。 戦後第一のピークを示した1958年(2万3000人台)は鍋底不況と重なり、第二のピークの1986年(1万5000人台)は、第二次オイルショック以来続いた景気低迷期だった。過去最高のピークを描いた今回も含めて、自殺者の増減が景気の動向と密接に関連しているのは間違いない。 「日本いのちの電話連盟」が2001年12月、一週間に渡り自殺予防の全国電話相談を実施したところ、自殺についての件数は約3000件に上り、このうち中高年層が半数を超えた。 「会社を辞めさせられ、鬱病で入院した。収入がなくなり、妻とは離婚した。友人は何人も自殺し、自分も未遂経験が2回ある」(40代男性)などと、リストラ絡みの訴えが数多く寄せられ、自殺問題の深刻さをうかがわせた。 厚生労働省は2002年1月、自殺防止対策有識者懇談会(座長・木村尚三郎東京大学名誉教授)を設置した。2002年3月15日に開かれた2回目は「中高年の自殺」をテーマに据えた。 なぜ中高年男性の間で増えているのか。自殺問題に詳しい精神科医の高橋祥友さん「鬱病は女性の方が多いが、他人に悩みを明かす。男性は他人に弱みを見せず、一人で抱え込む。女性を柳の枝にたとえれば、男は老大木。懸命に風に向かう強さと、ポキッと折れる弱さを併せ持つ」と男女の違いを分析する。 団塊の世代については「組織に自分を同一化する最後の世代だから、能力主義やリストラへの悩みは深い。子どもや老いた親の問題も一挙に降りかかる、大変な年頃」と言う。 西島英利・日本医師会常任理事は職場の変化に触れて、「パソコンを使うのが当たり前の時代にあって『できないとリストラされるのでは』と自信を失う中高年は多い」とみる。 三沢直子コミュニティー・カウンセリング・センター所長は「仕事しか生きがいのない人に比べ、失業しても、『私がパートでも何でもするから』と言う奥さんのいる男性は立ち直りが早い」と、家族関係の重要性を強調した。 予防策として、日本いのちの電話連盟の斉藤友紀雄常務理事は「電話をかけてくるのは鬱病の人が多く、相談には自殺問題を顕在化させる意味がある。これを治療と結び付けるシステム作りが大事。本人を支える幅広いネットワークが求められている」と提言した。 別の委員から「管理職のトレーニングをきちんとやれば、助かるケースもかなりある」「パソコンの導入で顔を合わさなくても仕事ができる今、社員同士のきずなをどう作るかが課題」という意見も出された。 このほか、かかりつけの医師と精神科医との連携、残された家族や周囲の人々に対する精神的なケアの必要性も指摘された。 自殺防止対策有識者懇談会は、鬱病対策と言った精神医学的な観点だけではなく、職場や地域、家庭のあり方を多角的に検討し、夏までに予防策をまとめる予定。 自殺は本人だけの悲劇にとどまらない。愛する家族と親しい人達に対し、深い喪失感や癒しがたい心の傷、経済面などでの様々な困難をもたらす。行政はもとより、社会全体で取り組む総合的な対策が急がれる。 |
読売 |
2002/03/26 |
朝刊 | 12 |
面 | No .N127y020326m13 | |||||
東京都 |
スポット社長 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 中高年の自殺を追う/ケーススタディ/自分の存在感気付かぬまま |
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メモ : 自殺者が三年連続年間3万人を超え、「戦後第三のピーク」を迎えている。中でも、団塊の世代を中心とした中高年の自殺者急増が目立つ。この深刻な事態に対し、厚生労働省は「自殺防止対策油脂記者懇談会」を発足させ、本格的な対策に取り組み始めた。働き盛りの男たちがなぜ、自ら死を選ぶのか。 1998年2月、3人の社長が東京・国立市にあるホテルの別々の部屋で首をつり、死んだ。6日前、証券会社からの利益供与事件で自殺した新井将敬衆院議員(当時50才)と同世代だったため、団塊の世代による「死の連鎖」は社会に衝撃を与えた。中高年の自殺問題を考える手がかりとして、三社長のケースを再検証し、その後を追った。 三人とも、カー用品を扱う中小企業の経営者だった。16店舗を持つ東京・稲城市の小売り会社「スポット」の社長(当時51歳)と、川崎市の卸し売り会社「東光」社長(同49歳)、今も存続している東京・世田谷区のメーカーL社の社長(同49歳)。規模はスポットがもっとも大きく、社員は約170人、売上高は60億円を超えた。 スポットの破産管財人の宮田真弁護士は「経営難で前途を悲観したため」との見方を取らない。二社長は遺書で負債の返済方法を詳細に指示していた。 「自力で築き、人生そのもの、生きる証だった会社と家族を守るため、資金繰りの選択肢を自ら狭めていった。友情からというより、あくまで経営者としての死だろう」 高校中退のスポット社長は自動車関連の会社を経て、1973年に創業した。首都圏でチェーン店を増やす一方、カー用品製造の別会社を作り、ヒット商品を生んだ。中央競馬会の馬主にもなり、1990年には日本ダービーを制した。 東光、L社とは積極的に取引し、ゴルフなどの遊びで二社長の兄貴分的立場にいた。 スポットの債権者への報告書によると。同社は平成不況などによる売り上げ減に加え、別会社や馬への投資で収支が悪化した。会社の売却案が出た1996年、主要取り引きを失うのを恐れた東光とL社の社長が反対し、スポットへの融資面で協力を誓った。 実際、翌年には東光が5000万円、L社などが1億円の手形を貸し付けた。経済的な体力を超えた援助で、三社長は一蓮托生の関係を強めた。 創業者にありがちなワンマンのスポット社長は役員会を一度も開かず、幹部進言には「おれの会社だ」と一喝した。 家族にも会社の内情を打ち明けていなかったという。ある関係者は「向上心の強い努力型。地道に店舗を広げてきたが、投機的な成功体験があだになった」とみる。 思えば、その絶頂期はバブル経済のピーク時と重なる。 1998年2月初め、スポット社長は二社長らに、25日に迫る決済の資金が3億円以上足りないと明かした。 協議を重ねる中で、一人が「このままだと巻き込まれる」と第三者に相談した事実も確認されているが、最後は「一緒に死んで、保険金を運転資金に充てる」との結論に達した。 しかし、現実は「計画」通りに行かなかった。スポット社長が失踪した翌日の25日、動揺した社員がファックスで事情を仕入先に連絡してしまう。 保険金を当て込んだ東光などからの入金で、不渡りはとりあえず免れたのに、商品の取り付け騒ぎを招いた。その夕方、三人は命を絶つ。 二日後、スポットは自己破産を申し立てた。会社と家族に下りた保険金は計6億5000万円に上る。東光も3月、事実上の倒産に追い込まれたが、L社は専務が後を継いだ。スポット社長の妻子二人は横浜市の自宅を売り、転居した。 宮田弁護士は「スポット社長が見落としたのは、お金には換えられない本人の価値だ。失踪後、社内が大混乱したように、求心力の強い社長抜きで経営再建は有り得なかった。あの悲劇は自分の存在感を軽視したか、十分自覚できなかったからでは」と残念がる。 それにしても、「分別盛りの三人がなぜ同時に」という根本的な疑問は残る。彼らの決断を知る第三者が止められなかった理由も、結局分からない。 スポットの流通センターを兼ねた本社は、三社長が最期を遂げたホテルから車で30分のところにあった。社長は失踪当日「支払いは心配しなくていい」と幹部に言い渡した。 命と引き換えに守ろうとしたその会社は跡形もなく、戸建て住宅の「好評分譲中」の旗が風に揺れていた。 あれから4年後の今も、強風の中で立ちすくみ、揺れ惑う中高年の男たちは少なくないだろう。 |
朝日 |
2002/03/21 |
朝刊 | 9 |
面 | No .N127a020321m9 |
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イギリス・フランス |
女 |
43 |
ダイアン・プリティ・欧州人権裁判所 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 「自殺の機会英政府奪った」難病の43歳提訴 |
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メモ : 難病で余命が短いとされる英国人女性が2002年3月19日、「英国の法律によって自殺の機会が奪われたのは、尊厳ある死を求める個人の人権を侵している」として英政府を相手に仏ストラスブールの欧州人権裁判所に人権救済の訴えを起こした。 ダイアン・プリティさん(43)は、1999年に進行性の神経難病と診断されてから容体が深刻化。今では全身が麻痺して話すことも困難となった。 ダイアンさんは「誇りある生活の質を保てず、尊厳死を選びたい」と自殺を希望。一人ではできないため夫の介助を望んでいる。 しかし、現行法では自殺の幇助は殺人罪になるため、自分のケースについて訴追を免除するよう裁判に訴えて来た。 英国の最高司法機関である上院の上訴委員会まで争ったが、2001年11月に退けられたため、今回の提訴に踏み切った。 夫や成人した二人の子らに支援され出廷したダイアンさんは、冒頭陳述はできなかったが、法廷の外で発声器を通し「私は自分の権利を求めているだけ」と話した。 |
朝日 |
2002/02/01 |
朝刊 | 29 |
面 | No .N127a020201m29 |
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東京都/千代田区 |
あしなが育英会 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 親が自殺の遺児急増/あしなが育英会/3年で8倍以上に/「倒産・リストラ苦」最多 |
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メモ : 保護者が自殺して就学が困難になり、「あしなが育英会」(東京都/千代田区)の奨学金を受けて高校に通う奨学生が、今年度は1998年度の8倍以上に増えていることが2002年1月31日、同育英会の出願書類調査でわかった。 自殺理由の半数近くが倒産・リストラなどの仕事の悩みや借金などの生活苦という。 育英会が2001年度に採用した奨学生は1309人。このうち178人が保護者が自殺したケースで、全体の13.6%を占めた。1998年度は21人(2.2%)だった。 自殺理由は、2000年度までは病気や健康上の原因が最多だったが、2001年度はリストラや倒産などの悩みが最も多かった。 今春に高校進学を控えたある奨学生の場合、父親の家電店が経営不信に陥り、保証人に迷惑を掛けられないと思い詰めた父親1998年に自殺。約7000万円の保険金が入ったが、金融機関への返済で消えた。 出願書類には「残された子供は母親を悲しませたくないと、父のことを思い出させたり、話題にすることを抑えている」と記しているという。 あしなが育英会では「残された家族を精神的、経済的にも苦しめ、学ぶ機会すら困難にしている。社会制度としての救済も必要だ」と話している。 管理人:あしなが育英会のサイト紹介はこちらから |
京都 |
2001/09/04 |
朝刊 | 28 |
面 | No .N127k010904m28 | |||||
厚生省/国立精神・神経センター精神保健研究所 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 厚生省/自殺防止へ総合対策/専門班で分析、研究/新薬開発も検討 |
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メモ : 年間の自殺者が3年連続で3万人を超え深刻な社会問題になっていることから、厚生省は2001年9月3日までに、自殺を防止するための初の総合対策を2003年度末までの3年計画で策定することを決めた。すでに専門の研究班を設置し9月から具体的な検討に入った。 自殺者数の増加は失業率の悪化に足並みをそろえる傾向が見られ、雇用不安で自殺者増が懸念される中、若年層や中高年、都市や農村といった世代・地域別に具体策を探る。 自殺防止に有効な新薬の開発を検討する別のチームも結成し多角的に対策を進める。 研究班は精神科、法医学の医師や社会学者ら8人に、専門か10人の計18人で構成。 遺族への聞き取りなどから自殺に至った背景やいきさつを分析するほか、警察官や救急医への調査によって動機や手段などのデータを集約する。 @家庭や職場での人間関係 Aうつ病や飲酒との関連性 B直接的なきっかけ などの観点からも分析を進める。 研究班主任研究者で堺宣道国立精神・神経センター精神保健研究所長 「日本では自殺の実態から具体的な防止策を導き出す研究が極めて少ない。社会情勢を踏まえた科学的な防止策を目指したい」 ● 難しい中高年対策 斎藤友紀・日本いのちの電話連盟常務理事 自殺予防は世代別で対策を立てなければならない。若者は周囲に救いを求めてくるケースが多く、高齢者は保健婦や医師の訪問が成果を上げている。 難しいのは、最近増えている中高年男性。悩みを人に相談するのは恥という美学が早期発見を妨げている上に、雇用不安などから閉塞感を感じている。ただリストラと自殺を結び付けるのは短絡的で、家族が心の支えになていれば自殺は起こり得ない。つらい気持ちを周囲が受け止め、人間関係を作り上げることが基本だ。 管理人:国立精神保健研究所さんのサイト紹介はこちらから |
京都 |
2001/06/19 |
朝刊 | 26 |
面 | No .N127k010619m26 |
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愛知県/豊田市 |
トヨタ自動車設計担当係長 |
男 |
35 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: トヨタ社員/ストレス自殺は労災/名古屋地裁判決 うつ病、仕事原因/労災認めた意義大きい |
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メモ : トヨタ自動車で車台の設計担当係長をしていた夫(当時35歳)が自殺したのは過労によるうつ病が原因として、妻が労災認定しなかった愛知県豊田市の豊田労働基準監督署に、遺族保障年金の府支給処分の取り消しなどを求めた訴訟で、名古屋地裁は労災と認め、府支給処分の取り消しを命じる判決を言い渡した。 判決などによると、男性は1987年から第1車両設計課の係長として、アジア向けの輸出車などの設計を担当していた。しかし、1988年7月ごろから設計に遅れが出たため、7月は約69時間の残業をするなど多忙となってうつ病を発症。1988年8月末、飛び降り自殺をした。 労働基準監督署側は「他の係長と比べても残業時間は多くなく、仕事が原因ではない」などと主張していたが、判決は「ストレス郷土は一般人を基準とすることはできない」として退けた。 林道春裁判長 「精神疾患を発症させるようなストレスに対しては、同じような労働をしている人の中で、もっとも弱い人を基準にして委員が関係を判断すべきだ」 過労死弁護団全国連絡会議幹事長の川人博弁護士 「これまでに自殺が労災として認められた判決は、残業時間が以上に多いなど、やや特殊な状況だった。しかし、会社の日常業務によるストレスで自殺に至るという、よく起こり得るケースでも裁判署が明確に労災と認めた意義は大きい。」 |
読売 |
2001/06/14 |
朝刊 | 34 |
面 | No .N127y010614m34 |
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兵庫県/神戸市 |
コープこうべ職員 |
男 |
40 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 震災で激務、自殺は労災/コープこうべ職員 妻の申請認定/西宮労基署 |
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メモ : 「コープこうべ」の経理担当職員だった男性が自殺したのは阪神大震災後に長時間労働を強いられたことによる過労が原因として、妻が労災認定を申請したのに対し、西宮労働基準監督署は2001年6月13日、「自殺は過労から精神疾患を患ったため」と認定、遺族保障年金などを支給する決定を通知した。 申請によると1995年度の決算報告書提出の1996年4月まで激務が続き、同4月中旬の一週間の労働時間が94時間に上るなど、労働基準法で定められた週40時間以内の2倍近くになったという。 男性は同年5月から手足や首のしびれを訴え、1997年1月からは歩けなくなって半年間休職。その後、紳士服売り場に移動したが、1997年8月に自宅マンションから飛び降り自殺した。 西宮労働基準監督署は男性の勝嬢を精神的な疲労による身体表現性障害と認定。発症後の休職についても、「その間に治ったとは確認できず、自殺との因果関係が認められる」とした。 遺族側の渡部吉泰弁護士 「半年の休職後でも過労自殺と認定したのは画期的だ」 |
朝日 |
2001/06/14 |
朝刊 | 33 |
面 | No .N127a010614m33 |
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京都市 |
男 |
49 |
寺西彰/エージーフーズ |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 夫の過労自殺/「ノルマ強いられた」/妻ら会社に賠償請求訴訟 |
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メモ : 京都市内のデパートなどで飲食店7店を経営するエージーフーズ店長だった寺西彰さん(49)が、鬱状態になって飛び降り自殺したのは、経営会社にノルマ達成を強いられ長時間労働を余儀なくされたためだとして、妻笑子さんら遺族3人が2001年6月13日、会社を相手に総額1億1000万円の損害賠償を求める訴えを京都地方裁判所に起こした。 タイムカードには連日10時半から13時間労働していた記録が残り、直前に医師からうつ病との診断を受けていたことなどから、京都市下労働基準監督署は2001年3月に、自殺を労働災害と認定している。 遺族 「会社は社員の健康に配慮しないまま心理的負荷を与える労働をさせた安全配慮義務違反がある」 |
京都 |
2001/04/18 |
朝刊 | 23 |
面 | No .N127k010418m23 |
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京都市 |
京都いのちの電話 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 自殺志向が過去最高/京都いのちの電話/不況、家庭にも影/総数2万8千件/女性の割合急増 |
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メモ : 「京都いのちの電話」の昨年1年間の相談総計は過去最高の約2万8000件となり、切実な相談も前年より増えた。また、不況の影響が中高年男性だけでなく、女性にも深刻な影を落としている。 2000年1月からの送受信件数は2万7942件で、前年より886件増。 男性が前年より減っているのに対し、女性は1669件増の1万3794件。 1995年には男性:女性=64%:36%だった割合がほぼ同率となった。 自殺志向の相談内容も、女性は257件増の961件と男性の2倍近くに達した。 事務局 「相談の個別の中身を見た場合、不況やリストラが長期化する中で、当事者である中高年男性にとどまらず、妻にも不安を投げかけ、家庭崩壊に至るケースもある」 管理人:京都いのちの電話サイト紹介はこちらから |
朝日 |
2001/04/11 |
朝刊 | 25 |
面 | No .N127a010411m25 |
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京都市 |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 「死にたい」最多1431件/いのちの電話相談/昨年度 5年で3.2倍に急増/失業・借金…時代映す中高年 |
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メモ : 京都府警によると、昨年の京都府内の自殺者は696人。 1975年から1997年までは、ほぼ年間400人台で推移してきたが、この3年間は600人を超え続けている。 中でも50代は6年連続で増加。2000年は224人で49人増えた。 2000年度、悩みを抱えた人から話を聞く『京都いのちの電話』に、「自殺したい」と訴える相談が過去最高の1431件、1999年度に比べ2割以上も増えている。
電話相談の件数は年々増えており、2000年度は2万7492件で、1日平均77件。特に増えているのが、「死にたい」「睡眠薬を飲んだ」など、自殺をほのめかしたりする相談。 1999年度より258件(22%)増え、1995年度の3.2倍になった。 全相談を世代別に見ると、10代と20代が減り、約10年前は20%前後だった40代以上の人からの相談が36%に。 相談は研修を受けた約180人のボランティアが交代で担当しているが、夜間のボランティアが不足しており、事務局は新たなボランティアを募集中。 問い合わせは075-864-1133へ。 『京都いのちの電話』訓練委員の大平恒夫さん 「中高年の世代は、泣き言を恥と思うのか、一人で悩みを抱え込んでしまう傾向が強い。誰かに相談できない人にこの電話の存在を知ってほしい」 相談用の電話番号は 075-864-4343 管理人:京都いのちの電話サイト紹介はこちらから |
朝日 |
2001/03/27 |
朝刊 | 27 |
面 | No .N127a010327m27 |
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大阪市/中央区 |
国際ビフレンダーズ大阪・自殺防止センター |
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シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 自殺防ぐ電話相談/ボランティア募集/大阪の市民団体 |
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メモ : 24時間態勢で電話相談に応じている国際ビフレンダーズ大阪・自殺防止センターが、電話相談ボランティアと、宣伝などを担当する支援ボランティアを募集している。 対象は20歳以上。2001年4月5・6日に面接があり、週1会計13回の研修を受ける。 受講料は3万円、研修後は月3回、5時間ずつ電話を受ける。 同センターは23年前に設立され、2000年12月からは自殺者の遺族が語り合う「自死遺児の会」も始めている。 管理人: 国際ビフレンダーズ大阪サイト紹介はこちらから |
京都 | 2000/11/29 | 朝刊 | 9 | 面 | No .N127k001129m9-1 |
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オランダ | オランダ議会下院 | |||||||||
シリーズ・特集; | ||||||||||
見出し: 安楽死を合法化/世界初/オランダ議会可決 |
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メモ : 2000年11月28日、オランダ議会下院は安楽死を合法化する法案を可決。 当初は12〜16歳の未成年も、親が反対しても安楽死が選択できるとの条項があったが、世論の支持が得られず撤回。 オランダでは、すでに一定の条件を満たして安楽死させた場合、検察官が医師を訴追しないことがあった。 このため1995年から1997年に報告があった安楽死は約6500件で、訴追されたのは8件にとどまっていた。 アメリカ合衆国オレゴン州ではすでに認められているが、国としては世界初。、隣国のベルギーでも同様の方案を審議中。 |