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N142 女性史・生き方・伝記    朝日新聞 ひと欄 特集  2003年
名前 職業 年齢 掲載年月日
本郷かまと  (ほんごう かまと) 無職 115 2003/09/15
上川あや  (かみかわ あや) 区会議員 35 2003/05/03
岡村和美  (おかむら かずみ) 法務省国際課長 42 2003/04/19
坂本洋子 (さかもと ようこ) 里親 45 2003/02/05
金明和  (キム ミョンファ) 劇作家 36 2003/02/01
岸谷美穂  (きしたに みほ) NPOスタッフ 27 2003/01/25
三ツ谷洋子  (みつや ようこ) Jリーグ理事 55 2003/01/24
飯島京子  (いいじま きょうこ) NPO代表 46 2003/01/22
大道珠貴   (だいどう たまき) 小説家 36 2003/01/17
小池香世子   (こいけ かよこ) 木彫職人 26 2003/01/13
プラコン・ビタヤサイ  (Prakong Vithayasai) 医師 57 2003/01/07
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記事紹介の留意事項

































朝日
2003/09/15
朝刊 3面 No .N142a030915m3
鹿児島県/鹿児島市


115
本郷かまと
シリーズ・特集;  ひと  (文 滝坪潤一 )
見出し:
16日に誕生日を迎える長寿世界一 本郷かまとさん  (115)
芋と黒等の焼酎が大好き。瓶を見ると、瞳がパッチリ開いて輝く。
メモ :
2日間眠って、2日間起きる。この数年間、生活のペースは変わらない。

1887(明治20)年、鹿児島県・徳之島の伊仙町で生まれた。当時の首相は初代伊藤博文。昨年3月、米国の女性が115歳で亡くなり、英ギネスブックが世界最高齢と認定した。

眠っている2日間も食事は3度きちんと取る。ご飯を口に運ぶと、目をつむったままごくりとのみ込む。目覚めている時は手のひらを木の葉のようにゆらゆらさせて民謡や島唄(うた)を口ずさむ。訪ねてきたお客さんにしわくちゃの口を開け、「お茶でも飲んでいかんね」と声をかけることも。

島に住んでいたころは、朝から晩まで牛を使い、サトウキビを搾る機械を動かし、サツマイモ畑を耕した。医者は「心肺もほかの内臓も異常がない」と驚く。120歳という日本の最長寿記録を持つ故・泉重千代さんも同郷だ。

77歳で夫と死別した後は、大阪の長男宅で暮らした。96歳の時、鹿児島市に住む三女の倉内シズエさん(79)のもとへ。

昨年から痴呆(ちほう)の症状が出てきた。「アーマ(島の方言でお母さん)」と甘えたかと思うと、シズエさんのわずかな乱れ髪を「どうにかしなさい」としかる。

子は4男3女。3人を亡くしたが、孫27人、ひ孫53人、やしゃご17人。にぎやかな大家族の真ん中にいる。

倉内智子さん(18)はネット上にホームページを開き、曽祖母(そうそぼ)の日々の様子を紹介する。「かまとバア、今日も爆睡です!」


管理人:倉内知子さんのサイト
かまとバアの介護日記 はこちら


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朝日
2003/05/03
朝刊 3面 No .N142a030503m3
東京都/世田谷区
区会議員

35
上川あや  (かみかわ あや)
シリーズ・特集;  ひと  (文 林恒樹 )
見出し:
性同一性障害を公表、世田谷区議になり議員活動を始めた 上川あやさん  (35)
法的には男性議員。「戸籍も変えていけるよう発言を続けます」
メモ :
5ヵ月前。取材を申し込むと、「絶対に顔を写さないで」という条件がついた。2日は報道陣のカメラをまっすぐに見つめ、笑顔で議員バッジをつけた。

戸籍上は男だが、5年前から女性として暮らす。性同一性障害を明らかにして臨んだ4月の世田谷区議選(定数52)では、「行政文書から不要な性別欄を廃止させる」などの公約を掲げ、5024票を得て6位で当選した。

心の性に気づいたのは27歳のとき。男性にばかりひかれる理由を探そうと同性愛のグループなどに顔を出すうち、自分の心は女性なのだと気づいた。男性としてのサラリーマン人生を捨てた。

性が変わり困ったのは、戸籍の性別を変更してもらえないこと。住民票などが必要となる正社員はあきらめ、出版社でアルバイトをしながら、国会議員に法整備を求め、仲間とともに歩いた。

「当事者が表に出て訴えることが大事だよ」。今年1月、薬害エイズの問題に取り組む家西悟衆議院議員に言われ、立候補を思い立った。反対覚悟で両親に話すと「正しいと思うことをやりなさい」。顔を出し、姿を見せて社会に訴える勇気がわいた。

議会には、選挙中も着てい赤いジャケットに黒いスカート姿で登場。昼食後には女性用のトイレにも行ったが、ほかの女性議員は「気にしてないわよ」。

「こうやって直接会って話せば、社会の理解も深まっていくと思うんです」


管理人: 上川さんのサイト紹介はこちらから
           上川さんの文章が載っている図書「多様な「性」がわかる本  性同一性障害・ゲイ・レズビアン」紹介


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朝日
2003/04/19
朝刊 3面 No .N142a030419m3

法務省国際課長

42
岡村和美  (おかむら かずみ)
シリーズ・特集; ひと  (文 井田香奈子 )
見出し:
国際ビジネスの一線から検事そして法務省国際課長 岡村和美さん  (42)
「たぶん一生、発展途上人。組織内の競争はする気がしない」
メモ :
人生は無限ではないと気付いたとき、原点に戻ろうと思い立つ。年収は半分にナなったしても。そんな転進もある。

ウォール街の渉外弁護士、モルガンスタンレー証券の東京支店法務部長を経て、2000年に検事に任官。この4月、法務省初の女子絵課長になった。

モルガン時代は著名な企業合併や起債にかかわった。1990年代後半には外資系が日本企業の不良債権の転売で利益をあげ、人材も流れてきた。「日本はどうなってしまうのか。」と案じた。体調を崩したことも重なった。「このままでいいのか」と仕事と自分について考え直した。

東京の下町育ち。「みんな一緒にいて、相談しあって、悲しい人がいないのが一番」が信条になった。修習生時代は検事志望だったが、検察幹部から取り下げを勧められた。女性の検事がまれだった頃だ。その志へ立ち戻った。

42歳の新任検事として、盗みの捜査から始め、2年前、現在の課に移った。

海外で児童買春する日本人、研究者が米国から訴追された遺伝子スパイ事件など、国境を越えた交渉が増えている。「自分の言葉で相手の懐に入れる人」と、周囲の信頼は厚い。

回り道ではなかった。国際金融の現場の経験を生かしている満足感がある。「だれでも『何か』をよくしたいと思って生きている。そんな気持ちをうまく集めれば、事が動きにくい霞ヶ関も変わるはず」

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朝日
2003/02/05
朝刊 3面 No .N142a030205m3
東京都/八王子市
里親

45
坂本洋子 (さかもと ようこ)
シリーズ・特集; ひと  (文  佐々波幸子)
見出し:
18年間に10人の里子を育てた里親 坂本洋子さん  (45)
養護学校副校長の夫好一さん(50)の洋子さん評は「一途な人」
メモ :
親元で暮らせない子どもを育て、18年になる。

いま、東京都八王子市の自宅には高校生の「長女」と小学生が5人。知的障害のある男の子は、7歳までに4カ所の施設を転々とした。注意されるとふてくされ、体をこわばらせた。あるときは深夜まで6時間、かたくなに座り続けた子と食卓で向き合った。「あなたから逃げない」と、言葉と体で伝え続けた。

表情豊かな子どもたちの姿が2002年2月に視察に訪れた石原慎太郎都知事を動かし、施設中心から家庭での養護に方向転換し、里親への支援態勢を改めるきっかけをつくった。

子どもを授からなかったことに苦しみ、「親を求める子となら補い合える」と思ったのが始まりだ。だが、ここまで導いたのは、4年前にバイク事故で亡くなった「長男」だと思う。

最初の里子だった長男は小学生時代、「施設育ちの乱暴者」と教師や保護者にレッテルを張られ、荒れた。「育て方が悪い」「本当の親子ではないから」という抗議や悪口もぶつけられた。この過程で、里子の苦しみ、接し方、同時に育てる喜びを学んだ。

いくつになっても、親の愛は試される。17歳の長女は昨年、家出をした。「でも山を越える度、互いの距離が縮まって、ピタッと合う手応えがある」

いま、苦しんでいる里親にも、その先の喜びを味わってもらいたい。自宅を増築し、体験を分かち合えるサロンをこの春、開く。

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朝日
2003/02/01
朝刊 3面 No .N142a030201m3
韓国
劇作家

36
金明和 (キム ミョンファ)
シリーズ・特集; ひと  (文  藤谷 浩二)
見出し:
朝日舞台芸術賞グランプリ作品を共作した劇作家・金明和さん  (36)
やっと仕事抜きの来日が実現。「歴史を感じる場所を訪ねたい」
メモ :
受賞作「その河をこえて、五月」は、劇作家の平田オリザさんと共作した現代劇だ。サッカー・ワールドカップの日韓共催に合わせて新国立劇場が企画した。「メールで送られてくる彼の言葉の端々から情熱が伝わり、私の表現も広げることができました」

韓国演劇評論家協会が選ぶ「今年の演劇ベスト3」にも輝き、「意義ある仕事だったと両国で認められてうれしい」と顔をほころばせる。

台頭する同世代を韓国では「386世代」と呼ぶ。1966年に生まれ、1980年代に梨花女子大で学生運動と出あい、30代の今、将来の演劇界を背負う逸材と期待がかかる。成熟へと向かう韓国社会の光と影を、「詩的で繊細な言葉」(平田さん)で映し出す。

「芝居は大好き。でも仕事は1人でやりたい」と演劇評論を経て劇作家に。共作という冒険に挑んだのは「歴史の傷跡への偏見を持たない世代の私に、韓日の距離を縮める何かができると考えた」からだ。

ソウル・漢江の岸辺で最初はおずおずと、やがて心からお互いを理解しようと努める韓国人一家と日本人たちの姿を鮮やかに切り取った舞台。中国から飛来した黄砂に人々が包まれる幕切れに、「米国化が進む韓日の人々がアジア人として生きる意味を問い直したい」との思いを重ねた。

「私たちは未来への夢と絶望を併せ持つ世代。個人と向き合う芸術は国境を超える。それが希望です」

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朝日
2003/01/25
朝刊 3面 No .N142a030125m3
イラク
NPOスタッフ

27
岸谷美穂 (きしたに みほ)
シリーズ・特集; ひと  (文  平田 篤央)
見出し:
イラク北部でクルド人への支援活動を続ける 岸谷美穂さん (27)
「レールのないところに、新しいものを作り出すのが楽しい」
メモ :
英米に保護されるイラク北部のクルド人自治区に入って2年以上になる。

信頼関係を築いたはずの地元スタッフだが、米によるイラク攻撃の準備が伝えられると浮足だった。「サダム(フセイン大統領)が攻めてきたらどうする」「ミホは逃げるんだろう。おれたちは行き場がない」

1988年に化学兵器で攻撃された悪夢がクルド人には残る。去年暮れ、本当は自分もパニックになりそうだった。でも、語りかけた。「ぜったいに見捨てない。落ち着いて支援事業を続けよう」。いまは「その日」のことは考えなくなった。

大学で国際関係論を学び、NGO(非政府組織)活動に興味を持った。卒業後、入った団体では大半が東京の事務局暮らし。外務省などとの話し合いで、現場を踏んでいない自分の説得力のなさにいらだった。

NGO「ピースウィンズ・ジャパン」に移り、本格的な海外活動の機会を得た。ところが、2000年11月に一緒にイラク北部に赴任した同僚が、2カ月でアフリカに転じ、1人残された。

110人の現地スタッフ、4カ所の現地事務所、年間1億円の予算、食糧や医療の支援対象7万人の命が肩にのしかかった。治安は回復しつつあるとはいえ、移動は4輪駆動車をつらね、カラシニコフ銃を手にした護衛がつきそう毎日。

不眠症になった時期もある。気晴らしは、事務所の庭に飼う15匹のウサギたち。「餌をやって2時間くらいぼうっとする。自分をいやす技術も必要です」


  管理人:ピース ウィンズ・ジャパンのサイト紹介はこちら


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朝日
2003/01/24
朝刊 3面 No .N142a030124m3

Jリーグ理事

55
三ツ谷 洋子 (みつや ようこ)
シリーズ・特集; ひと  (文  越村 佳代子)
見出し:
「スポーツに女性の視点を」と主張してきた 三ツ谷洋子さん  (55)
「委員会出席は歳優先。問題に気づいた以上、責任がありますから」
メモ :
「スポーツの楽しみに男も女もないけれど、女性には不利な条件がつきまといます。スポーツの文化は男性が継承してきましたからね」

Jリーグ理事を始め、10を超えるスポーツ関連の委員会などで、女性の立場から発言を続けている。

Jリーグが発足する前の会合で、競技場の女性トイレの増設を要望したことがある。男性に比べて、時間は長く空間も要るささいなことに見えてもファン層を広げる大事な問題。サッカー場が新設される時に配慮されるようになった。

スポーツ界との付き合いは33年になる。産経新聞者に入社し、社会部を経てサンケイスポーツに。初の女性記者だった。結婚・出産で退社。フリーのスポーツライターになったが、離婚後、スポーツビジネスのコンサルタント会社「スポーツ21エンタープライズ」を起業した。

取材を通して、男性主導のスポーツ界で声を上げられない女性の姿を見聞きした。1981年、ボランティア組織の「WSFジャパン(女性スポーツ財団日本支部)」をつくった。資金も人手も乏しいなか、講演や機関紙、スポーツ会議などで問題提起を続けてきた。

女子マラソンの選手が減量の結果、拒食症になったり、「整理があるうちは、まだ練習が足りない」と発言する男性指導者がいたり、女性とスポーツを巡る気になる話はたくさんある。

「役割が終ったとは、まだ言えません」

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朝日
2003/01/22
朝刊 3面 No .N142a030122m2

NPO代表

46
飯島 京子 (いいじま きょうこ)
シリーズ・特集; ひと  (文  児林 もとみ)
見出し:
犯罪被害者遺族としてはじめて少年院で講演した 飯島京子さん  (46)
「被害者の状況を知ってほしい」と、講演活動を続けている。
メモ :
幼い頃、低い声がコンプレックスだった。その声は今、犯罪被害者の苦しみを静かに、深く、語るための武器になった。

長男の友樹君(当時15才)を1999年、少年9人による集団暴行で亡くしている。

講演は2002年11月、茨城県の中等少年院で行なった。赤ん坊の頃からの息子の写真を何枚も見せ、真っ直ぐに少年たちを見つめて語った。
「これ以上、写真は増えません」。息子が生きて存在し、突然、命を奪われたこと。それを自分と重ねて考えてほしかった。「胸がしめつけられた」。講演後、そんな感想が届いた。

長時間、複数の場所で暴行された息子は、亡くなった場所や時刻が今もはっきりしない。少年審判は非公開。真実を知りたくて、もがいた。供述調書を取り寄せ、遺体を解剖した医師に会った。加害少年が社会復帰すると、一人ずつ家に呼びもしたが、過去のことと見なす子もいた。真摯な反省を感じられなかった。

少年院の更正教育に疑問を持った。しかし、一人で叫んでも「被害者感情」で片付けられてしまう。被害者支援の輪を広げようと2002年春、NPO(非営利組織)「アピュイ」をつくった。会員は今、全国に約40人。被害者家族が中心だ。

「真の更正とは被害者から見て加害者が更正したと思える時。施設を出てからが本当の償いでは」

事務局の一室で、寝泊りする日々が続く。手には今も、息子の遺体の冷たさが残っている。


  管理人:NPO犯罪被害者支援の会「アピュイ」のサイト紹介はこちら


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朝日
2003/01/17
朝刊 3面 No .N142a030117m3

小説家

36
大道 珠貴 (だいどう たまき)
シリーズ・特集; ひと  (文  由里 幸子)
見出し:
「しょっぱいドライブ」で芥川賞に決まった 大道珠貴さん  (36)
「活字って面白いと思ってもらえるものを書きたい」
メモ :
34歳の女と初老の男の計算高いような純真なような関係を描いた受賞作は、悲しいユーモアが捨てがたいと評価された。「元気の出ない小説」との意見もあった、と聞いて「みんな元気がありすぎる。ほめ言葉と受け止めます」と記者会見でにっこり。

元々T「親切な作家にはなりたいわけじゃない」と突っ張っている。

口うるさい父親に暴力的にしつけられ、学校ではイジメを受けた。無表情な子どもだったが、内心は傷ついていた。19歳の時に出会った太宰治の「人間失格」に救われて、文章の世界を志した。視線のきつさに、つらかったときの名残が見える。「過去に関してはうらみがある。でもそこからパワーをもたっら」

普通の人にも読んでほしいと「庶民の暮らし」を描いた作品はいずれも、ラジオドラマの脚本経験から会話が生きている。性も率直に表現し、エンターテイメント系雑誌にも連載。描かれる女たちは、さめた目で人生や男を見ている。

「女のくせにと男は威張っているけれど本当は女に甘えきっている。でも、かわいいところもある」。自分の自動車に女性名をつける男への風刺もこめ、自転車に「阪田則夫」と名付けて乗り回す。「まあ普通の感じのオトコ名として考え出したのです」

児童文学も視野にある。「自分で絵も描いて、一つの世界として提示し、人生に逃げ道、抜け道はいっぱいあると伝えたい」

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朝日
2003/01/13 朝刊 3面 No .N142a03013m3
東京都/足立区
木彫職人

26
小池 香世子 (こいけ かよこ)
シリーズ・特集; ひと  (文  藤川 明子)
見出し:
広重の「名所江戸百系」の復刻作業取り組む 小池香世子さん  (26)
亡き祖父が名付け親。「香世子の世は浮世絵の世だったのね」と祖母
メモ :
ラジオのAM放送を流しっぱなしにした東京・足立の自宅6畳間。手のひらにすっぽり納まる小刀の先から、150年前の江戸の風景がよみがえる。

この線はどうも不自然。当時の彫り師が失敗したんじゃないかな。原版のコピーを見つめ、そんな疑問がわく時、手が止まる。

でも、そっくり再現してこそ復刻。「深川木場」「品川御殿やま」など10点が、先輩たちが手がけた90点と合わせ、両国の江戸東京博物館で展示されている。一つ完成させるのに1ヵ月。それぞれに思いがこもる。

「木を彫る仕事をやってみたい」。娘の一言を覚えていた母親と高校の先生の勧めで伝統工芸品の展示会をのぞき、その場で弟子入りを決めた。漢字や仮名の彫りから始めて修行を5年、「お礼奉公」を2年。ふだんはもっぱら千社札を作り、最近は美人画も始めた。

「復刻は勉強になったけど、古いものの再現だけではだめ。最先端のビルが並ぶお台場の景色なんか、浮世絵にしたら面白い。いつか挑戦したいですね」

若い女性の彫り師ということで、実演会などに呼ばれることも多い。人前に出るのが不得手だから、一人黙々とやれる仕事を選んだのにと、いまだに戸惑いを感じる。舞い上がらないその態度がいかにも職人らしいと、また評判になる。

ロックバンド・エレファントカシマシのファン。「CDジャケットを彫れたらいいですね」と言うと、満面の笑みを浮かべた。

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朝日
2003/01/07
朝刊 2面 No .N142a030107m2
タイ
医師
57
プラコン・ビタヤサイ  Prakong Vithayasai
シリーズ・特集; ひと  (文 中村通子 )
見出し:
「エイズ孤児」を70人以上育ててきた医師 プラコン・ビタヤサイさん  (57)
「我が子」の写真を持ち歩く。「全員巣立つまでは、死ねないね」
メモ :
タイでエイズの流行が始まった80年代後半。朝、病院へ出勤すると、床に見知らぬ乳幼児が捨てられていた。やせ衰え、泣き声もあげられない。エイズ患者の親が置いたのだ。そんな子を74人育ててきた。

患者が多い北部の都市、チェンマイの病院に勤めていた。捨て子の多くはHIV(エイズウイルス)に感染していた。医師でさえ触ろうとしなかった。

その子たちを救うため、92年に夫と非政府組織「サポート・ザ・チルドレン」を作った。亡くなった子や海外に里親が見つかった子もおり、今、6〜12歳の24人が薬を飲みながら学校へ通う。医療費は年間約900万円。昨年暮れ、国際的な奉仕活動をする人に贈る「中田厚仁記念基金」の褒賞金を受けた。30万円。「これで10日分の薬が買えます。ありがたいことです」

講演や教科書執筆などの知識普及活動が徐々に実を結び、孤児らを支える団体もここ数年、増えてきた。

しかし、タイにはHIVに感染している子が約2万1千人いる。自分が救えたのはほんの一握りだと振り返る。
「子の犠牲を少しでも減らすには、大人をしっかり教育しなくては」。2年前に病院を退職。北部の村々で、エイズの知識やコンドームの使用を説いて回る。

「自分には関係ないと考える人は多い。でも、私たちはだれもが愛し合い、セックスをする。地球のみんなが、HIVに真剣に向き合うべき時です」

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