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これが始まりでした  毎日新聞 Mainichi INTERACTIVE 女の気持ち より


00 静かに見守って 静岡市・宮田美乃里 歌人 31歳 2002年12月7日  http://www.mainichi.co.jp/life/family/onna/2002/12/07-1.html

2年前、心から愛した男性から婚約を破棄された。それまで私はフラメンコダンサーとして舞台に立ち、講師としても教えていた。けれど、それがきっかけになり、ストレスから体調を崩し、以後、踊ることができなくなってしまった。

その後、20歳のころに作っていた短歌が自然に浮かぶようになり、10年ぶりで再び短歌を作るようになった。悲しみを作品にすることで、気持ちの整理をした。300首ほどまとめて今年5月、出版した。

左胸に大きなしこりを発見したのは、そのゴールデンウイーク、ちょうど本の出版と同じ時期だった。検査の結果は乳がんだった。今はセカンドオピニオンといって、いくつかの病院で複数の医師の意見を聞くことが主流だ。私も乳がん治療で有名な病院を、いくつか回った。日本でもっとも多く乳房温存療法を施行している先生の所へも行ったが、がんの大きさと場所からいって、乳房をすべて取るしか方法はないと言われた。医師によって診断はまちまちだったが、最善を尽くしても5年生存率は6割だと言う医師もいた。

友人や親類は、頑張るように私を励ます。しかし、もう私は疲れてしまった。人生は悲しいことばかり。だから、今は静かに見守ってほしい。

(毎日新聞2002年12月7日東京朝刊から)



そして、その反響が Mainichi INTERACTIVE 女の気持ち  2003年1月25日

反響  読者から励まし、続々 「女の気持ち・乳がんの治療をしない」に


◆筆者の宮田美乃里さんに聞く

昨年12月7日「女の気持ち〜静かに見守って」(東京本社・北海道支社版)の筆者、宮田美乃里さん(32)に、読者から多数の励ましやアドバイスがあった。乳がんになったが、治療をしない、という内容で、その後宮田さんはどうなったか、という問い合わせも数件あった。いかに生き、いかに死ぬかは読者の関心も高いテーマ。「気持ちは変わらない」という本人の考えと、専門家の意見をあわせて掲載する。

◇「今の自分らしさを大事に」

 ――励ましの手紙などが来ているが、気持ちはどうですか。

宮田さん 治療を受けるようにという励ましがほとんどで、とても感謝しています。いい医療機関を紹介してくれる方も多く、申し訳ない気持ちですが、治療をしない、という考えに今も変わりはありません。

 ――なぜ治療を受けないのか。

宮田さん 三つの病院でいずれも乳房を全部取る手術を勧められました。私は心も体も、大きな手術にとても耐えられないのです。その後も抗がん剤を使うので、副作用に悩まなければならない。乳房を全部摘出しても再建が可能ですが、そうすると、大きな手術を2回しなければならない。いずれにしろ長期間、病気と戦う気力がないのです。それより今の自分らしさを大事にしたいのです。

 ――手術で治るのでは。

宮田さん それは分からない。手術しても再発の可能性はあります。長生きすることに何か意味があるのでしょうか。

 ――若いのにやや厭世(えんせい)的だと思うが。

宮田さん 子供のころから病弱で孤独で厭世的だったかもしれない。失恋も影響していると思う。がんと戦っている人たちの手記を読むと、本当に立派だと思うし、尊敬もしますが、私にはできない。私は私の生き方をしたいのです。歌集「花と悲しみ」に収録した歌「スミレにはスミレの美学あるならば 誰も私を規定できない」。そういう気持ちなんです。(聞き手・臼井研一)


 ◆がんの専門医は

◇考えた上での選択とは思うが、一度医療側の説明を受けては −−乳がんの診断と治療法を具体的、体系的にまとめた「乳がん全書」(法研)の編著者で聖マリアンナ医科大学病院乳腺・内分泌外科部長の福田護さんの話

患者さんに「自分らしく生きたい」という気持ちが、医療者側に「生きて、この苦境を乗りきってほしい」との気持ちがなければ、インフォームド・コンセントは成り立たない。

宮田さんは短歌を作って気持ちを整理し、出版したという、思慮深く、前向きで、行動力もある女性だと思う。だが、乳がんを告知され、普通の人がなかなかできないセカンド・オピニオンまでとっているのに、なぜか気持ちがなえ、内に閉じこもってしまったようだ。

乳がんの治療法には、本当にさまざまな選択肢がある。私は「何もしない」というのも、「治療拒否」ではなく、考えた上での一つの選択肢ではありうると思う。しかし、宮田さんの場合、治癒する可能性は高い。終末期ならともかく、明らかに治癒する可能性があり、治療法もあって、多くの人が現実に治療している時、今の気持ちを投稿できるほどの宮田さんが治療しないのはなぜなのだろう。

1回出した結論に最後までこだわる必要はない。一度、友人や親類ら宮田さんの気持ちや人生を理解してくれるサポーターと一緒に、医療者から説明を受けてみてはどうか。セカンド・オピニオンをとって客観的な意見を聞いたつもりでも、一人では思い込みもあって、自分に都合のいい情報だけを取捨選択している可能性もある。広い視野で客観的に、今の自分を見つめる機会があってもいい。人の死はその人に属することだが、人とのかかわりの中で暮らしている以上、生死さえその人だけのものとは言い切れない部分があるのも事実だからだ。(聞き手・小島明日奈)

毎日新聞2003年1月25日東京朝刊から


 
上に続く2002年12月から2003年10月までの、
109通の投書の投稿抜粋集はこちらから


宮田美乃里 著書紹介
リンク
 
宮田さんが手術をした「その後」を紹介されているサイトがあります
プログ  歌人・宮田美乃里のその後。  ※ 2005年5月15日をもって閉鎖されました。
宮田さんをモデルに小説を書くことになった森村誠一氏のサイトへもどうぞ。
森村誠一氏公式サイト
(題名は「魂の切影(せつえい)」で、2004年の12月の『小説宝石』誌上とのこと)
こんな思いもWebの中で見つけました
ゆらゆらの短歌のページ  けふ。「選択肢」  2003年3月6日(木) 曇り
宮田さんの死後、宮田さんの短歌を折々に紹介されるサイトができました。
宮田美乃里さんの短歌に
メモ
※ 1 2003年10月31日、なぜだかわかりませんが「Mainichi Women interactive カモミール  乳がん・読者からの声」のコーナーは「ご意見ありがとうございました 投稿募集は終了いたしました。たくさんのご意見ありがとうございました。」というメッセージで終了してしまいました。正直言って、とても後味の悪い打ち切り方になってしまったように思えます。偶然かどうか、この日は宮田美乃里さんが左乳房全摘出の手術を終え、退院された日でした。
※ 2 2004年4月5日、Mainichi INTERACTIVEのサイト移転に伴い、宮田さんに関する毎日新聞社の投稿ページはすべて削除されました。
※ 3 2004年6月28日、のいさんが管理されているサイト「その後。〜宮田美乃里さんのページ」情報によれば、宮田さんは再入院されたそうです。
※ 4 2004年8月5日にいただいたメールによれば、宮田さんは全身に転移がみつかり、QOLをあげられるような治療をされているそうです。
※ 5 『AERA』2004.7.19号の記事紹介を、写真歌集『乳房、花なり』の図書紹介の中でしました。
※ 6 2004年9月21日にいただいたメールによれば、2004年10月21日発行の「小説宝石」(光文社)から、宮田さんをモデルとした小説の連載が森村誠一氏の筆で始まる予定だそうです。
※ 7 宮田美乃里さんは、平成17年3月28日午前6時22分、ご逝去されました。やすらかな眠りを心から願います。
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