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N144 服飾・装飾・化粧・裸体・人形の小部屋
マネキン
紹介記事目録
人形の特集にもどる

記事紹介の留意事項
































































朝日
2006/09/02
No .N144a060902xxx
福岡県/前原市
無職

33

シリーズ・特集;http://www.asahi.com/national/update/0902/SEB200609010018.html
見出し:
マネキンを持ち帰ろうとした容疑、男逮捕 福岡
メモ :
通りがかりに目にした和装のマネキンに「一目ぼれ」した男(33)が自宅に持ち帰ろうとして福岡県警に窃盗未遂などの容疑で逮捕されていたことが分かった。

福岡県前原市に住む無職の男は市内の公民館で8月上旬、和服姿の清楚なマネキンを見かけ、心奪われた。2006年8月29日未明、2階から侵入し「彼女」のいる1階へ直行。

「きれいだ」。警報器にも気づかず間もなく御用。我に返っての釈明は「近くで見ると不気味だったし、思いのほか重くて持ち帰るのはやめたのだが……」。
写真

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朝日
2001/02/08
朝刊 10
No .N144a010208m10




帝人
シリーズ・特集;
見出し:
やけどの調査はマネキンが代行/帝人が実験システム開発
メモ :
帝人は2001年2月7日、人間の代わりに感熱センサーを埋め込んだセラミック製のマネキンに消防服などを着せてバーナーであぶり、やけどの広がりなどを調べる実験システム「プリフ」を開発した。

燃焼室で衣類を着せたマネキンを600℃の炎で熱すると、126個のセンサーで体表温度を検知し、やけどを負う温度に達した部分が、やけどの深さ別にパソコン画面に表示される。

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朝日
2000/10/03
夕刊 3
No .NN144a001003e3
京都市
マネキン作家

52
山本幸夫
シリーズ・特集;究める 達人への道
見出し:
マネキン作家/時代を着こなす「人」作る
メモ :
マネキン製作老舗のヤマトマネキン(京都市)入社33年の山本幸夫さん(52)。名刺には「マネキン開発室長」。新作アイデアからモデル撮影、粘土の原型作りまで手がける。

ヒットの「ガングロマネキン」は東京渋谷でヒントを得た。スポーツウエアのカジュアル化を期待した「スポーツマネキン」はサッカー人気が後押しした。
新作はハイヒールをはかせて身長182センチ。スリーサイズは80、60、88。「スケール感」もポイント。

山本さん
「下唇をふっくらさせると女らしさ、温かみが出る。リアルな感じには、そんな造形的な強さが必要です」

「これからは、位置付けのはっきりしないものは残れない。生き方をしっかりもつ、色気もある女性像を表現していきたい。マネキンは、今を着こなす『人』です。


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京都
2000/11/01
朝刊 25
No .N144k001101m25





シリーズ・特集;世紀の面影  69
見出し:
洋装マネキン登場 1925年/島津マネキン/一体で家1軒分に相当
メモ :
洋服を着せる人形「マネキン」が全国で初めて登場するのは1925(大正14)年。石膏で作られた愛らしい顔の人形は、高さ1m30cmと90cm。当時の流行の最先端を行くモダンガール「モガ」の象徴、断髪スタイルだった。

マネキンを作ったのは東京美術学校で彫刻を学んだ島津良蔵氏が設立した「島津マネキン」。
彫刻家の荻島安ニ氏に、造形美も兼ね備えたマネキン製作を依頼した。

マネキンメーカー「七彩」の藤井秀雪さん(57)
「マネキンが着た洋服はぜいたくの象徴で、『これマネキンが着ていた』と言って自慢する人もいた」

マネキンという名称の由来には諸説あり、
江戸時代に店に飾られた福助人形などの「招き人形」からとの説、
フランス語で衣装の陳列に使う人形を意味する「マヌカン」が語源だが、
「招かない」に通じるため「マネキン」にしたなど。


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l京都 2000/07/07
夕刊 3
No .N144k000707e3
京都市



島津製作所
シリーズ・特集;京都産業風土記 13
見出し:
島津の系譜(中) マネキン作りの源流/良蔵の貢献大きく/今もメッカは京都
メモ :
京都市下京区に業界団体の日本マネキンディスプレイ商工組合がある。

事務局長の中川章さん
「マネキンは京都が発祥の地。それからずっと京都がリーダーであり続け、今も御三家といわれる全国トップクラスのマネキンメーカーが京都にある」

島津製作所の二代目島津源蔵の息子である島津良蔵は、科学技術ではなく芸術に関心を持ち、東京美術学校(現・東京芸大)で彫刻・彫塑を学び、1931(昭和6)年に島津製作所に入社、標本部に籍を置きマネキン作りに没頭した。

1932年には年産5000体、全国シェア9割となったが、1943年には時局が切迫し製作中止に。

島津で活躍した造形作家の向井良吉は1946年に京都七彩工芸(現・七彩、京都市右京区山ノ内)を設立。

吉村勲は吉忠マネキン(京都市中京区堺町御池下ル)の創立に加わり、

藤林重治は大和製作所(現・ヤマトマネキン、京都市下京区西七条)の創設に協力した。

ファッションの中心が東京にあっても、京都のマネキン界の優位性は揺るぎなく現在に至っている。


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朝日
2000/03/09
夕刊 3
No .N144a000309e3
大阪市・京都市




シリーズ・特集;週間You・meジャーナル
見出し:
うれっこ ガングロマネキン/女の子たちに共感/やや小柄 ハデなメーク 出荷急増
メモ :
大阪心斎橋筋を中心に1999年の夏ごろから「ガングロ」マネキンが急増。

ガングロマネキンを出荷しているのは愛知県に本社があるディスプレー会社ニシモトの大阪営業所。2、3年前までは10数体だった出荷数も、1999年は100体を超えた。

営業部長の内山康志さん(28)
「ポツポツ注文が入りはじめた3年前は、ガングロといっても健康的な小麦色に自然なメークだった。昨年当たりから、より黒く、ハデなメークのものを店のほうが強く求めるようになった」

京都市のヤマトマネキンでは2000年2月には11体の定型を作り大量生産に踏み切った。
ここで作られるガングロマネキンは172cm。従来のマネキンに比べやや小柄。

企画開発室
「渋谷や横浜など首都圏が中心ですが、北海道や九州からも注文が来ています。手作業なので大量生産といっても限界がある。発売してまだ半月ですが、もう受注を調整しなければならない状況」

山本幸夫さん(51)
「以前のマネキンは一般消費者からかけ離れた顔、スタイルのものが多かった。今の若い子は、スターより『店員』や『美容師』など、自分よりちょっと上の存在にカリスマ性を見出す世代。マネキンにも親近感が必要」

ガングロマネキンブームの火付け役、心斎橋筋2丁目の「BOH」店長の高山敬子さん
「洋服のコンセプトも分かりやすいし、女の子たちにも共感を持ってもらえる。メークも今風にと、結構細かい注文をつけました。昔はこういうマネキンを置いている店は数なかったけれど、急に増えてきましたね」

客の大阪府内の高校1年生ちなつさん
「こういうマネキンじゃないと自分が着たときのイメージが分からない。とにかくカッコイイ」

ファッション評論家のピーコさん
「今の女の子には、ここまで親切に『これを着たらこんな風になる』と教えてあげないといけないのかしら。想像力がなくなっちゃったのかな。」

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