夫は居間のテーブルでサッカー中継をみている。洗濯物をしまい終わった夜9時、やっと手があき座ろうとした。
「コーヒー」
すかさず用事をいいつける。次は「リモコン」。
「待ってないで自分でやったら」という言葉をのみ込んで、「はい、はい」と立ち上がる。言い返してけんかになる方が疲れてしまう。機嫌よく早く寝て、私に自由な時間をちょうだい。
2階建ての店舗兼住宅。店を閉めても、家事という仕事が残っている。24時間、夫とは一緒だ。
店は東京の都心にある。祖父母の代から続く商売を継ぐよう、早くから決められていた。期待をかけられた兄が家をでてしまい、自分さえいい子にしていれば、家の中の平穏は保たれる。進学校に入学しても、親は大学は必要ないと譲らなかった。
夫と知り合ったのは18歳のときだ。だまっておれのいうことを聞けという態度が、かっこよく見えた。4年後に結婚。自分の家に長男の夫が来てくれたという遠慮が、はたらく。夫は外に気を使い、妻の前ではわがまま。夫と親の間に立って、「いい妻」「いい娘」に徹した。
「子どもと川の字に寝ているのにそんな気になれるか」といわれる。せまい家で階下の親にも気をつかう。楽しい性から遠くなって、もう10年になる。環境を変えようと定休日、2人でホテルに出かけてみた。天井を見つめて、会話が続かない。1時間で退屈してしまった。
夫の上着から風俗店の名刺が出てきても、明日も朝から一緒に仕事だと思えば、問いただせなくなる。
夫に聞いてみた。
「私って、あなたの何?」
「トモダチ」
共同生活のチームなら、性はなくてもいいのかと吹っ切った。
パソコンを買っていなかったら。2年前にいまの自分は想像できなかった。早朝や深夜につなぐインターネットは、外への扉だった。もう一人の自分が、匿名の世界で息をしている。
「恋愛は男女五分五分の関係だと思う」。大人の恋愛を語り合うホームページに書いた。「思いは無理に封印しなくてもいいでしょう」と返事をくれた5歳年上の男性と意気投合した。
地方都市の中小企業の2代目だった。妻とスキンシップをしたいのに、素直に感情を出してくれないことに悩んでいる、という。ネット上の仲間との集まりをきっかけに、月に1、2回、2人だけで会うようになった。
出会って1年の記念に、新宿の高層ホテルのレストランで食事をした。プレゼントしてくれたのは黒いローヒールのパンプスだった。家族が見ても不思議に感じないものを、相談して選んだ。1万5千円。「こんな高いの買ったことがないのに」。いつも自分の分は後回しにしてきた「主婦」でなく、「私」がそこにいた。
扉の向こう側で思う。「外でまで、いい子になんてなれない」
(07/08)