産む産まない、自分の意思で

つないだ手は――オランダの女性たち:1


 この夏、元夫と誘いあって、ロッテルダムからロンドンに出かけた。互いのパートナーと一緒の4人旅。部屋を借り、自炊しながら劇場やパブめぐりを楽しんだ。

 マリーケ(52)にとって、かつてぶつかりあった夫は、大切な友人。15歳年下の今の彼と暮らして15年になる。

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 11歳の時だ。4人分のベッドが並ぶ子ども部屋に、母が入ってきた。妹たちは、外で遊びに熱中している。母は手にした性教育の絵本を広げ、どうしたら子どもができるか話し始めた。

 「とても現実的で、男女の愛をロマンチックに語るわけじゃなかった」

 15歳になって好きな男の子ができると、母からピルをもらいに行こうと誘われた。

 「プラトニックな付き合いだから」とあわてて拒否しても、「準備しておきましょう」。近所の家族計画協会に初めて足を踏み入れ、ピルを手にした。

 シングルマザーの子という娘の生い立ちを、母は負い目に感じていた。未婚の母になることも産まないことも、信仰もあって歓迎されない時代。ぎこちない性教育には、母の意思が込められていた。

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 オランダでピルが認められたのは40年前。マリーケは思春期から手にした第1世代にあたる。世間は当初から、モダンで確実な避妊法と受けとめていた。

 19歳で結婚し、4年後に「子どもを持とう」と夫と話して、ピルの服用をやめた。出産後、また飲み始めた。

 「自分で使うか、やめるかを決めることに意味があったと思う」

 33歳での離婚は、社会で性や家庭の古い常識が覆されていったころと重なる。専業主婦からソーシャルワーカーとして経済的に自立した。一家の住む共同住宅の中に、自分だけの部屋を借り、10歳と8歳の息子は父母の間を自由に行き来して育っていった。

 週末、独立した息子たちが、ガールフレンドを連れて遊びに来る。目の前でベッドでの話を聞かされる。

 これが「性の解放」なのか。次世代の屈託ない笑いに、居心地の悪さも感じる。

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 静かな古都ハーグ。

 40年前を思い出して、インゲ(68)の声は沈む。酔って荒れる夫に、4人の子どもは息子ばかり。もう子どもは、欲しくなかった。

 ピルが登場するや病院にかけつけた。待ち望んだ薬なのに、体が受け付けない。脚がひどくむくむなど副作用に苦しみ、医師にストップをかけられた。

 不妊手術も夫の同意なしには受けられない。「理解がないから頼んでいるのに」 相次いで、2人の男の子が生まれた。渋る夫をやっと協力させたのに、コンドームでの避妊がうまくいかなかった。

 そして、また妊娠。「もし女の子でも生まれたら、安心して育てられるだろうか」。肉屋の家業は忙しく、家はガタガタしていた。悩んだ末、中絶を決意した。

 イギリスで手術を受けるため、1人で旅立つ日、子どもたちには、友だちの結婚式に出席してくるとウソをついた。オランダで中絶法が改正されるのは84年。それ以前は、制度も施設も整わないヤミの時代だった。

 「これからは、自分のために自分の性を楽しみたい」と心に決めたのは50歳。末っ子と競うように夜間学校を卒業し、就職先も見つけ、離婚に踏み切った。育てあげた息子たちは、「母さん自身の人生のために、いま行動しなくちゃ」と、そろって応援してくれた。

 ピルは手軽に手に入り、身近になった。インゲの味方にはならなかったが、避妊への強い意識は、自立のエネルギーに結びついた。「本当に、50歳から楽しかったから」。自信を持ってそう言える。

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 女性の自立とは何だろう。ひとりでいるのも、母になるのも、簡単なようで難しい。性に対する意識が成熟した国の「彼女たち」は、どう暮らしているのか。オランダを訪ねた。(敬称略)

(11/04)