二人のきずな、60歳で出産


つないだ手は――高齢期の生と性:2

 もう一度、あの入国審査官に会って、伝えたい。

 「この赤ちゃんが『証明』です」と。

 中東出身の彼が、一時帰国した7年前。日本への再入国がなかなか認められず、東京入国管理局までビザの発給を求めに行った。

 「結婚するというけれど、何か形で証明できますか」

 審査官に尋ねられた。

 当時53歳、夫となる彼は29歳。年の差に恥ずかしくて口ごもる。バッグから婚約指輪の小箱を取り出した。

 「なぜ堂々と言わないんですか。胸を張って生きていかなきゃ」。心に響いた。

 「初めてでした。私たちの愛情を理解してくれた人は。私の恩人なんです」

 それから6年後の昨年8月7日。新聞の朝刊1面に見出しが躍った。

 「米国で体外受精した60歳が国内で出産」

 自分ではない気がした。

 高齢出産の是非が論議を呼んだ。

 3歳の時、父を戦争で亡くし、母も病気で失った。東京都内に住む母方の祖母に育てられた。高校を卒業して公務員になり、25歳で結婚。「祖母付き」の条件をのんでくれた人だった。

 だが、生活してみると、考えが合わない。夫はオイルショックで仕事を失い、転職後の31歳の時に、脳卒中で倒れた。「お前と結婚したから、こうなった」と責められた。祖母と半身マヒの夫を介護する日々が、20年以上続いた。

 「私にとって家族はきずなでなく、しがらみでした」

 今の夫とは、52歳で出会った。好きな語学を生かして教えていた日本語学校の生徒。会社をクビになり、日本での生活に疲れていた。自分と、どこか似ていた。

 冬のホーム。東京に珍しい大雪で3時間電車が止まった。待ちくたびれて、彼が肩にもたれかかる。やわらかなせっけんの香りに、心が緩む。

 彼からプロポーズされ、夫に離婚を申し出た。自活できるまでに回復した夫は「そう」と、一言だけだった。

 心の触れあいだけでも夫婦は生きていける。そう信じてきた。だがそれは「きれいごとでした」。肩に手を触れられただけで気持ちが解けていく感覚。だれにも頼れない、と身にまとってきたよろいを、彼の前で初めて脱げた。

 彼の国に行った時、お兄さんの子を抱きかかえ、あやす彼のしぐさをみた。「養子をもらおうか」とつぶやいた言葉も、耳から離れない。

 子ども好きな彼のために、米国で産もうと決めた。「自然なままでいい」と反対する彼を説得し、一人渡米した。日本人女性の卵子の提供を受け、2度目の体外受精で彼との子を授かった。母体が危険になったらあきらめる、と約束して。

 「ただ、人生が逆転しただけ。子育てと介護の順番が周りの人とは……」

 60歳での出産は、結果そうなっただけだ。子どもには温かい彼の家族もいる。人生80年とすれば、あと20年。ぎりぎり成人まで育てられる。

 「私は、間違っているでしょうか」

(02/11)