不妊:上 妻から

つないだ手は――夫婦になって

 おもちゃのバギーに乗った双子の男の子が、笑いかける。頭に初節句のカブトを乗せて赤ちゃんは泣いていた。可愛い子どもたちが、私(38)に迫ってきた。

 29歳から2年半、不妊治療に通った関西地方の病院。待合室の壁一面に、突然50枚ほどの写真が張り出された。

 「やめたい。やめたい。やめたい」

 心も体もボロボロになっていたのに、夫(38)にずっと言えなかった。

 「子どもを持てない女と周りに見られたくない」。そんな思いがいつも邪魔をした。

 写真の子どもたちが悪魔に見えた。自分が嫌になった。

 32歳の夏。

 仕事から帰った夫に、思いきって切り出した。

 「もう病院にはいかない。しばらく休んで、それでも子どもができなかったら、また始める」

 「夫婦二人の生活もいいじゃないか」

      *

 高校時代の親友を通じて知り合った夫と、交際を始めたのは26歳の時。その2年前に父を突然に亡くし、家族の柱を失った中で、男気のある堂々とした態度に強くひかれた。2年後に結婚した。

 1年ほどして妹も結婚。すぐに子どもができたことが、不妊治療を始めたきっかけだ。あと半年で30歳という年齢も意識した。

 検査をすると、二人とも不妊の原因は見当たらない。

 「すぐにできるだろう」。初めは軽い気持ちだった。

 医師から人工授精をすすめられたが、抵抗感があった。

 「人工授精でできた子と思うのは嫌でしょう」

 「そうやなぁ」

 居間のソファでくつろぐ夫は、つぶやくように言った。

 「子どもは夫婦の愛情のあかし。コウノトリが運んでくるもの」。そう思いたかった。だから、病院で人工授精の治療をうけた夜には必ずセックスをする。「創造物」ではなく「授かりもの」にするために。それは出口の見えないトンネルの入り口だった。

      *

 「お姉ちゃんは何してるの、病院に行っているの」

 容赦のない親類の声。不妊に効くという香港土産の漢方薬をもらったこともある。

 家に遊びに来た後輩に、夫が冗談っぽく精力剤を頼んでいた会話も覚えていた。

 「夫も欲しがっている。産むことが私の使命なんだ」

 どんどん追いつめられた。

 排卵誘発剤を打つと、おなかが痛くなった。食欲はなくなり、食べるとすぐに吐いた。体重は37キロまで減った。

 治療を始めて2回目の正月。こたつで年賀状を見ていて、思わず叫んだ。

 「あなた知っていたの」

 「知らんかった」という夫は一瞬、困ったように見えた。

 親しかった友人夫婦からのあいさつ。赤ちゃんの写真に添えて「家族が増えました」とある。夫は知っていたはずだ。「私だけ仲間はずれにされている」という思いにかられて、寂しかった。

 この年の夏、体外受精でも妊娠できなかった。

 「赤ちゃんができた人は勝ち組。病院に通う私たちは、負け組かも」

 逃げ出したい。限界だった。

      *

 35歳の秋。

 治療から離れて3年たっていた。家を新築することになった。設計士が作った間取り図には部屋が五つあった。

 「これじゃ、だめ」

 図面を捨てた。自分で書き換えよう。透明感のある歌声のエンヤのCDをかけながら、新しい生活を想像した。

 もがき苦しんだ生活を振り返って自問する。

 「子どもが欲しくて結婚したんじゃない。夫婦が一緒にいることのほうが大事」

 定規とコンパスを使って、鉛筆で線を引く。夫が仕事に出かけている昼間、一人で黙々と。1週間かけて何度も書き直し、気持ちを確認する。

 1階は、二人がくつろぐリビングと台所だけ。2階は寝室と和室の客間。

 子ども部屋は描かなかった。夫はどう思うだろうか。

     ◇

 すれ違い、ぶつかり合い、わかり合う。そして二人は何を見たのか。不妊、中絶、再婚。3組の夫婦が語る。

(04/15)